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フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【浅田真央を“最悪のリンク”で調整させたスケート連盟の失態】

 自己ベストをマークした舞いに、「これが自分がやろうと思っていたこと」と、演技終了直後に頬を濡らした浅田真央(23)。敗れてなお、多くのファンの記憶に残る伝説を作った。その陰で、ソチへの最終調整の場に関して、浅田側とスケート連盟は揉めに揉めていた。

「真央には、精神的にもっとも落ち着ける場所で最終調整をさせてあげたい」と、佐藤信夫コーチ(72)は、スケート連盟幹部に(練習拠点の)中京大リンクで調整したい思いを伝えたという。だが連盟は、ソチへ移動が数時間でできる隣国アルメニアのリンクを確保していた。

 そこで、浅田側と連盟の“対立”の間に、第三案として浮上したのが、浅田の振付を担当するタラソワコーチ(67)の口添えで、ロシア代表のソトニコワ(17)、リプニツカヤ(15)らと一緒にモスクワの「ロシア・ナショナル・トレーニングセンター」で最終調整をおこなうという案だった。

 しかし、この案にも連盟は首を縦に振らなかった。 結局、浅田は連盟に押し切られる形で、渋々アルメニアに向かった。

「この決断が最悪だった。アルメニアのリンクの氷には砂が混ざっているうえにガタガタ。急遽、刃を研ぎ直す必要に迫られた。しかも空調設備が悪く、非常に寒かった。浅田は最終調整どころか、調子を狂わせてソチ入りした」(スポーツ紙記者)

 連盟による“妨害”はこれだけではない。現地の報道関係者を取材すればするほど、それは次から次へと噴出するのだ。

「連盟幹部たちは、我々に対しても高圧的。取材させてやっているんだという態度で、少しでも気に食わないことがあれば、『何を書いているんだ』と取材パスを取り上げられた記者も過去にいたほど」(民放関係者)

 それは選手に対しても同様で、今回の男子代表選手にも勇気づける立場にあるはずなのに、心ない言葉を浴びせ、逆に追い込むようなことをしていたという。

「女子選手に直接言わないにしても、そのコーチや関係者などに失礼なことを言うのは日常的。選手をサポートする立場なのに、彼らはそれをせずに何をやっているかといえば、選手村で頻繁に酒盛り。チーム・ジャパンとして機能しているはずがない」(スポーツライター)

 今回、連盟幹部は十数名ソチ入りしているが、はっきりいって遊びに来ているのと同じ、とスポーツライターは続ける。

「彼らの遠征費は、浅田らの広告料から多くが出ているが、そのお金で我が世の春を謳歌しているにほかならない。見かねた男子選手やその周辺からは『連盟の誰も信用できない』と、我々に相談をもちかけてきたこともあった」

 五輪前、男女で複数のメダルを目標に掲げながら、選手をサポートできない連盟は猛省どころではすまされない。

(週刊『FLASH』3 月11日号)

女性自身 2月26日(水)0時0分配信


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週刊誌の記事ではあるのですが、スポーツ報知の記者もアルメニアのリンクについて
氷に砂があってエッジが傷付き、冷凍庫のように寒く、ホテルに缶詰めでレトルトで自炊と言ってました。
そんなところでいい調整が出来るはずがありません。
スケート連盟の悪評は既に耳にしていましたが、ここまで酷いとは。
これ以上選手の足を引っ張るのはやめてほしい。選手が可哀相です。
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【真央、気に留めた様子なく「森さん、後悔しているのでは」】

 ソチ五輪のフィギュアスケート女子で6位だった浅田真央(中京大)は25日にソチから帰国。その足で東京都内の日本外国特派員協会へ行き、記者会見を行った。特派員の関心は“引退か現役続行か”のほかに、森喜朗元首相が「あの子は大事なところで転ぶ」発言。浅田は「人間なので失敗はある」と気に留めた様子はなかったが、「今は少し後悔しているのでは」と東京五輪組織委員会会長という立場をおもんばかった。浅田の一問一答は次の通り。

 「ソチ五輪は最終的には、自分の目指している演技ができた。でも、もう一つの目標として、日本にメダルを持って帰って来られなかったのは今でも残念だし、悔しい気持ちでいっぱい」

 --世界中のスケーターからたくさんの称賛の声があった

 「たくさんのスケーターがショートプログラム(SP)の後に心配してくれた。『頑張れ』というメールをたくさん送ってくれた。次の日のフリーで、期待に応えられる演技ができたのはすごくうれしく思う」

 --フリーの演技の後には涙を流した

 「前日のSPで自分の気持ちもどん底に落ち込んでいたので、フリーは不安や恐怖心があった。それを乗り越えての最高の出来だったのでホッとして、うれしさのあまり、最高の気持ちになった。本当は笑顔が良かったが、前日の気持ちも消えたわけではなかったので、泣いてしまった」

 --SPの失敗からフリーでは挽回したが、強い気持ちの源は

 「一つではない。いろんな経験をしてきた。コーチや支えてくれた人の言葉や『できる』と思ってやったことが、自分の気持ちを復活させられた理由だと思う」

 --トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を外せばリスクが減ったのでは

 「小さい頃から伊藤みどりさんに憧れていて、それを継ごうと思って挑戦してきた。トリプルアクセルは自分を強く持たせてくれるもの。試合で、挑戦して成功したときには達成感でいっぱいになる。今回、フリーの演技にトリプルアクセルはずっと入っていたので、飛ばないという選択肢はなかった。一番の見せ場だと思っているので、絶対に外すわけにはいかなかった」

 --ソチ五輪で学んだことは

 「この五輪で悔しい気持ち、最高の気持ちと、いろんな感情があった。今まで以上に充実した試合だった。SPでの結果は悔しかったが、強い意志を持って諦めなければ、自分の目指すものができると改めて強く感じることができた。今後の人生にも生きてくると思う」

 --転ぶのは痛いか

 「自分が『転ぶ』と思うときはまったく痛くないが、自分が『転ばない』と思ったときに突然転ぶのはめちゃくちゃ痛い」

 --韓国のキム・ヨナとはライバル関係にあったが、日韓問題について感じることは

 「私から何か言うことはできない。私とキム・ヨナ選手は小さいころからライバルとしてメディアに注目されてきた。リンクを離れれば、普通に話をしたり、友達のような関係だと思っている」

 --今後については

 「昨年、集大成という言葉を使って報道にもたくさん、取り上げられてしまった。私自身、この1年間、ソチ五輪まで集大成という思いでやってきた。今回のフリーでは、悔いなく、終わりたいという気持ちで滑った。でも、試合はこの後も一つ(世界選手権が)残っているので、そこでしっかり最高の演技をしてから、自分の気持ちと向き合って今後を考えていきたいと思っている」

 --将来、スケート以外の分野での活躍を考えているか

 「将来のことはまだ何も考えていない」

 --来季以降も現役続行の可能性は何%か

 「もう一つ試合が残っている。世界選手権では、フリーもSPも両方そろえられるようにしたい。ショーがその後にあるので、全国の皆さんに感謝の滑りをしてそれから、落ち着いて考えたい。今のところハーフハーフで」

 --東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相が「大事なときには必ず転ぶ」と発言した

 「終わったことなので何とも思っていないが、聞いたときは『あっ、そうなんだ』と思った。人間なので失敗することはある。仕方ないとは言えないとは思うが、自分も失敗したくて失敗しているわけではないので、それは違うのかなと思った。でも、森さんはそう思ったのではないか」

 --森元首相は5年間、東京五輪組織委員会会長を務める予定だが、日本チームは耐えられるか

 「私は何とも思っていないが、ああいう発言をしてしまい、森さんは今、少し後悔しているのではないか」

産経新聞 2月25日(火)14時36分配信

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森元首相は後悔してますかね?
この人が失言するのは昔から。何も変わってない。
真央ちゃんの方が大人。
【真央にサプライズ フリー使用曲が閉会式で演奏】



 ◇ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」

 【ソチ芳賀竜也】「集大成」の五輪で会心の演技を見せたヒロインに、とっておきのプレゼントが待っていた。23日行われたソチ冬季五輪の閉会式では、フィギュアスケート女子6位入賞の浅田真央選手(23)=中京大=がフリーで使用した、ロシアの作曲家ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が演奏された。ショートプログラム(SP)での出遅れが響いてメダルには手が届かなかったが、「ラストシーズン」として五輪に臨んだ浅田選手へのねぎらいの調べとなった。

 閉会式には、日本選手団から約120人が参加した。「大会中は試合に集中してしまうので、(閉会式では)五輪を楽しみたい」と話していた浅田選手。サプライズは、閉会式の中盤に待っていた。

 ステージ中央の仕掛け床からロシア気鋭のピアニスト、デニス・マツーエフさん(38)が登場。計62台のピアノがマツーエフさんのグランドピアノを取り囲み、アトラクションを交えながら「ピアノ協奏曲第2番」が演奏された。

 銀メダルに輝いた2010年バンクーバー五輪では、フリーに同じラフマニノフの「鐘」を選んだが、自ら満足できる演技ができなかった。だからこそ、今回は「同じ作曲家の曲でレベルアップした自分をアピールしたい」との目標を込めた。

 SPで失敗したが、20日のフリーは好演。4年かけて「ラフマニノフの借り」を返した。「二つ(2大会)合わせて私の中で最高の五輪」と浅田選手。閉会式でのラフマニノフの演出は偶然だったが、浅田選手や、彼女を支え、応援してきた人々の胸にしっとりと響いたはずだ。

毎日新聞 2月24日(月)11時3分配信
【真央「バンクーバーとソチ、2つ合わせて最高の五輪」】



 「フィギュアスケート エキシビション」(22日、アイスベルク・パレス)

 浅田真央(23)=中京大=は、金色のドレスを身にまとって登場。チャプリンの「スマイル」にのって、笑顔満開の柔らかな滑りを披露した。「笑顔って素晴らしいっていうのを伝えたかった。苦しい時も辛いときも笑顔を忘れないでいてほしいなって。応援してくれた方々への感謝を込めて滑った」と、演技に込めたメッセージを明かした。

6位に終わった集大成の五輪だったが、フリーで会心の演技ができ、スッキリとした表情。競技終了後、佐藤信夫コーチとも話したそうで「『よく頑張った。やればできるじゃないか。遅いんだよ』と言われました。でも『凄いよかった。最高だった』って言ってもらえた」と、笑った。

 2度目の夢舞台を振り返り「メダルという形にはできなかったけど、バンクーバーとソチ、特別な五輪を経験できた。2つ合わせて最高の五輪でした」と、感慨深そうに話した。

デイリースポーツ 2月23日(日)7時27分配信


【閉会で浅田「支えてくれた皆さんに恩返しできた」 フィギュア】



 試合の緊張感から解き放たれた浅田は、金色の衣装に身を包み、楽しそうに軽やかな動きでエキシビションを舞った。

 披露したのは、「スマイル」と「この素晴らしき世界」で滑るプログラム。「つらいことや苦しいことがあっても笑顔を忘れないで、という思いを込めた」という演技は、最愛の母、匡子さんを亡くしても、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)が不調になっても、前向きに滑り続けた23歳の姿にも重なった。

 リンクを降りた浅田は、SPが完璧ながらフリーでつまずいて銀メダルに終わった4年前のバンクーバー五輪と、SP16位から自己ベストのフリーで巻き返した今大会を総括し「2つを合わせて最高の五輪だった」と達成感をにじませた。

 今季は世界選手権が最後の公式戦。「まずは世界選手権でSPとフリーをいい演技でそろえたい。その後のことは終わってみないとわからない」と話し、閉幕にあたり「メダルという形で残すことはできなかったけど、最後は自分の中で最高の演技ができたので、支えてくれた皆さんに恩返しができたと思う」と感謝の気持ちで締めくくった。(田中充)

産経新聞 2月23日(日)17時50分


【浅田、感謝の気持ち「スマイル」で】



 【ソチ芳賀竜也】ソチ冬季五輪第16日は22日、フィギュアスケートのエキシビションが試合会場のアイスベルク・パレスで行われ、各種目の上位選手が華麗な舞を披露した。女子でショートプログラム(SP)16位からフリーで追い上げて6位入賞を果たした浅田真央(23)=中京大=は、チャプリンの映画「モダン・タイムス」の挿入曲「スマイル」に乗り、応援への感謝の気持ちを「笑顔」で表現した。

 浅田は「バンクーバー五輪のSPは完璧だったがフリーは不満足。今回はSPがああいう形になったが、フリーは人生の中で最高の演技ができた。今回はメダルという形で結果を残せなかったが、二つ(2大会)合わせて私の中で最高の五輪」と述べた。

 男子で金メダルを獲得した羽生結弦(はにゅう・ゆづる)(19)=ANA=は、自らも被災した東日本大震災後に初出演したアイスショーで演じた「白鳥の湖」を熱演。「復興へのメッセージになれば」との気持ちを込めて舞った。

毎日新聞 2月23日(日)21時57分
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