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フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【「よく頑張ったね」=佐藤コーチ】



 2010年9月から浅田を指導してきた佐藤信夫コーチは、まな弟子をねぎらうように話した。「よく頑張ったね」  悔やんだのは、SPの大きな出遅れだ。「やはりそれが五輪と言えばそういうこと。だが、SPもフリーのような状態でできたら。終わってしまったものは仕方ないが」
 ただ、フリーでは、浅田自らトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を2回跳ばず、1回にとどめることを決めるなど、理解し合えたことを感じた。亡くなった浅田の母、匡子さんに懇願されて、コーチを引き受けた。「大人になった。悩みも多かったが、(指導して)よかった」としみじみと話した。(時事)(2014/02/21-09:13)


【浅田涙の自己ベスト 佐藤コーチ喝きいた】



 ◇フィギュアスケート女子 浅田真央(中京大)6位

 天を見上げるフィニッシュのポーズ。顔を下ろした浅田の目から涙があふれた。大歓声と拍手に包まれ、スケートを滑らせたが涙が止まらない。

 銀メダルだった前回バンクーバー五輪は満足のいく演技ができず、「悔しい」と漏らした。再起を誓い、スケートを一から学び直した4年間。前日のSPで、努力が報われず、16位に沈んだ。いろいろなことが交錯して脳裏を駆け巡り、涙腺を刺激する。だが、思い出した。昨晩、たくさんの人から届いた「笑顔が見たい」という電子メールの言葉。お辞儀をすると涙交じりの笑顔になった。「やった!という気持ちが強かった。うれし涙と笑顔は同じ意味」。「集大成」と位置付けたこの日のフリーは自己ベストだった。

 前夜の同じ銀盤。そこには、失意のどん底にいた浅田の姿があった。「体が動かなかった。(理由は)分からない」。それは、日が明けた朝の公式練習でも変わらなかった。リンク際にいた佐藤信夫コーチ(72)は、思わず声を荒らげた。「点数で言えば、SPは約70点、フリーは約140点。3分の2も残っているのだから、もうちょっと気合を入れてやりなさい」

 練習が終わって選手村に帰る途中、佐藤コーチが話し出した。1980年レークプラシッド五輪に出場した教え子の松村充さん(56)の話だった。「彼はSPが終わった後、へんとう腺を腫らし、2日間寝込んだ。練習も食事も一切できないまま、フリーに臨まなければならなかったんだ。その時、僕は彼に言った。『ぶっ倒れたら、しかられても、必ずリンクの中まで助けに行く。だから倒れるまでやれ』って。そうしたらフリーは彼のスケート人生で最高の出来だった」

 魔法をかけられたかのように浅田の表情が引き締まった。「自分は何もそういう病気ではない。できないということは絶対にない」。そして本番では、観衆の記憶にいつまでも残るであろう演技を披露した。

 「今回はメダルという形で結果を残せなかったが、自分の演技を残すことができた。それが最高のものだったので、よかった。私なりの恩返しができたと思う」と浅田。名伯楽の至言を胸に刻み込み、浅田は心の切り替えに成功した。【芳賀竜也】

毎日新聞 2月21日(金)10時54分配信
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