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フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【記者が振り返る 母の死から1年の真央、GPファイナルVで戻った笑顔】



 腰痛に耐え、ショートプログラム(SP)に続き、フリーもトップの完全優勝だった。12月8日。2014年ソチ五輪のテスト大会を兼ね、五輪会場で行われたグランプリ(GP)ファイナルで、女子の浅田真央(中京大)が4季ぶり3度目の頂点に立った。

 「大きなミスがなかったことが一番よかった」。相手との比較ではなく、自らの演技の満足度を求めてきた22歳らしい言葉だった。

 大会を終えて日本に帰国後は練習量を調整しなければならないほど、腰の状態は芳しくなかったが、9日のエキシビションの際には観客のアンコールにも応えて最後まで笑顔の「浅田真央」を演じていた。

 ◆演技で魅了を

 1年前の12月9日。最愛の母、匡子さんが48歳の若さでこの世を去った。ファイナル開催地のカナダ・ケベックにいた浅田は、容体急変を聞き、すぐに帰国の途に就いたが、最期を見届けることはできなかった。

 「まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。たくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度『ありがとう』と言っても足りません」。直後にマネジメント会社を通じて寄せたコメントには、21歳だった浅田の偽りない心境が記されているように思えた。

 しかし、その後は長らく浅田の口から、母に関する言葉は聞かれなかった。日本スケート連盟からも報道陣に、匡子さんに関する質問には配慮するように要請があった。

 浅田の真意について、近しい関係者はこう明かした。「彼女は純粋に演技で魅了したいし、評価されたい。お母さんが亡くなったことで、世間から同情が集まって応援されるような状況は作りたくないんです」

 ◆努力と鍛錬で

 昨季の終盤は、世界選手権で2年連続6位に沈むなど、選手生活の中でもどん底に近い状況だった。武器だったトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)は失敗の連続。今季の開幕前には悩みが深く、約2週間もリンクから離れるほどだった。

 周囲から「同年代の人たちだって、悩んでいるよ。進路や就職とかいろいろあるから」と励まされ、再びリンクに立つ意欲をよみがえらせた。「自分の夢に向かって、やるべきことをしっかりやる」。母の生前、家族で約束した言葉も胸中にあったはずだ。

 「向上」をテーマに掲げた今季、浅田は同情を買うことなく、自らの努力と鍛錬で再び演技力を高めてきた。

 ◆人々の支えに

 迎えたファイナルの舞台。優勝直後に母に関する質問が出たとき、「いつもと変わらないと思う…」と話した後、涙があふれて言葉が続かなくなった。競技者として強くあろうとした浅田が、22歳の女性に戻った瞬間にも思えた。ただ浅田はこの状況から逃げなかった。連盟関係者から取材を受け続けられるかを聞かれ、「大丈夫」と少しの時間をおいて、その後に出た他のすべての質問に対応した。

 悲しみを乗り越え、ソチ五輪を目指す浅田に、世間から集まるのは、同情ではなく、称賛だろう。そんな浅田の姿が、苦難に立ち向かおうとしている多くの人たちの心の支えになっていると信じて疑わない。(田中充)

産経新聞 12月18日(火)7時55分配信
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