フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【枠内のベストより、心の思うまま…。浅田真央、世界選手権へ感謝と共に。】
鮮烈な4分間だった。
浅田真央の、ソチ五輪でのフリーは、今思い返してみても、ただそうとしか表しようがない。
浅田はソチ入りしたあと、苦しみ続けた。団体戦のショートプログラムは、「予想していたよりも緊張してしまって」トリプルアクセルで転倒し、思うような演技とならなかった。
一度アルメニアへ移動して調整したあと、シングルのショートではトリプルアクセルの失敗のほか、トリプルループがダブルになるなど、精彩を欠いた。
「体がうまく動かなくなりました」
その原因を、こう分析していた。 「オリンピックは2回目なので、一度経験することで分かることもたくさんあると思うんですけど、逆にそれが良い方向に行かなくて、自分の中でうまく解消できていなかったんだと思います」
【追い込まれた状況での底力を生んだ浅田の姿勢。】
五輪はバンクーバーで一度経験している、知っているからこそ、かえってオリンピックという舞台の重さに囚われたのかもしれない。そう示唆しているようだった。
だが浅田は、そのままでは終わらなかった。それがフリーの4分間だった。
大舞台の重圧に押し潰されそうになりながら、最後ははねのけた。
勝負強さ、あるいは精神の強さという言葉ははまらない。追い込まれた状況で表れる底力とでも言うべきものかもしれない。
それを育んできたのは、やはり浅田の姿勢だろう。
'05年のグランプリファイナル優勝など、広く世間に知られるようになったシーズン以来、浅田が発してきた数々の言葉を思い起こせば、常に一貫した姿勢を持っていたことにあらためて気づく。
【自分の心の思うまま、行けるところまで。】
自分の武器がジャンプであり、トリプルアクセルであること。中学生の当時から、変わることなくそう口にしてきた浅田は、'09年にジャンプの修正の必要を感じ取ると、そのシーズン後、根本的な改革に着手した。結果が出ないことに不安を感じることもあっただろう。それでも地道に練習してきた。
ジャンプばかりではない。毎年新しいプログラムに取り組む中で、表現することを学んでいった。
そうした積み重ねの根幹にあったのは、チャレンジし続けることだった。分かりやすいところでは、バンクーバー五輪ではトリプルアクセルにショート、フリーで計3度挑んだ。
その歩みを言い換えれば、自分を更新していく、新しい自分に出会いたいとでも言うべき挑戦への意志と、その足取りである。
あるいは、すでに定められた枠の中でのベストを尽くすよりも、ただ自分の心の思うままに行けるところまで行ってみたい、より高みを目指したい、その足跡でもあった。
「自分の気持ちが、もう1つ上に伸び切らなかった」
と言うショートの失敗から、追い込まれて気持ちが伸び切ったとき、培ってきたすべてを出した。それがあの4分間ではなかったか。振り返ってみて、そう思える。
【「4年間よかったと思えると思います」】
「自分が目指していたのは、今日のような演技でした」
「(これからの)4年間よかったと思えると思いますし、その気持ちがどんどん強くなるんじゃないかなと思います」
フリーが終わったあとの浅田の言葉も、印象的だ。
では、あれからひと月とちょっと経って迎える世界選手権は、浅田にとってどんな場となるのだろうか。
ソチから帰国した後の記者会見では、世界選手権に触れてこう語っている。
「今度はショートプログラムもフリーも結果をそろえて、その後のアイスショーで皆さんに感謝の滑りを見せたいです」
【最善を尽くして感謝を伝える場所、世界選手権。】
浅田はソチ五輪のショートからフリーを迎えるまでのわずかな時間に、多くの励ましを受けたと言う。だからソチで、こう語っていた。
「メダルという形で残すことはできなかったけれど、自分の目指す演技ができて、今まで支えてくれた皆さんに、私なりの恩返しができたんじゃないか、と思います」
その言葉にあるように、ソチのフリーの演技で恩返しはできた。
でも、もっと感謝を伝えたい。そのためにも、ソチでは出来なかったショートと合わせて、2つともに完璧な演技をしたい。
オリンピックから世界選手権までの準備の時間は、決して長くはない。4年に一度の大舞台へ向けての日々の、そして大会で費やしたエネルギーの大きさを考えれば、短いと言ってもいい。
それでも浅田は、最善を尽くして感謝を伝えたいと思っている。
それが、さいたまスーパーアリーナで行なわれる世界選手権なのである。
Number Web 松原孝臣 = 文 2014/03/25 10:30
鮮烈な4分間だった。
浅田真央の、ソチ五輪でのフリーは、今思い返してみても、ただそうとしか表しようがない。
浅田はソチ入りしたあと、苦しみ続けた。団体戦のショートプログラムは、「予想していたよりも緊張してしまって」トリプルアクセルで転倒し、思うような演技とならなかった。
一度アルメニアへ移動して調整したあと、シングルのショートではトリプルアクセルの失敗のほか、トリプルループがダブルになるなど、精彩を欠いた。
「体がうまく動かなくなりました」
その原因を、こう分析していた。 「オリンピックは2回目なので、一度経験することで分かることもたくさんあると思うんですけど、逆にそれが良い方向に行かなくて、自分の中でうまく解消できていなかったんだと思います」
【追い込まれた状況での底力を生んだ浅田の姿勢。】
五輪はバンクーバーで一度経験している、知っているからこそ、かえってオリンピックという舞台の重さに囚われたのかもしれない。そう示唆しているようだった。
だが浅田は、そのままでは終わらなかった。それがフリーの4分間だった。
大舞台の重圧に押し潰されそうになりながら、最後ははねのけた。
勝負強さ、あるいは精神の強さという言葉ははまらない。追い込まれた状況で表れる底力とでも言うべきものかもしれない。
それを育んできたのは、やはり浅田の姿勢だろう。
'05年のグランプリファイナル優勝など、広く世間に知られるようになったシーズン以来、浅田が発してきた数々の言葉を思い起こせば、常に一貫した姿勢を持っていたことにあらためて気づく。
【自分の心の思うまま、行けるところまで。】
自分の武器がジャンプであり、トリプルアクセルであること。中学生の当時から、変わることなくそう口にしてきた浅田は、'09年にジャンプの修正の必要を感じ取ると、そのシーズン後、根本的な改革に着手した。結果が出ないことに不安を感じることもあっただろう。それでも地道に練習してきた。
ジャンプばかりではない。毎年新しいプログラムに取り組む中で、表現することを学んでいった。
そうした積み重ねの根幹にあったのは、チャレンジし続けることだった。分かりやすいところでは、バンクーバー五輪ではトリプルアクセルにショート、フリーで計3度挑んだ。
その歩みを言い換えれば、自分を更新していく、新しい自分に出会いたいとでも言うべき挑戦への意志と、その足取りである。
あるいは、すでに定められた枠の中でのベストを尽くすよりも、ただ自分の心の思うままに行けるところまで行ってみたい、より高みを目指したい、その足跡でもあった。
「自分の気持ちが、もう1つ上に伸び切らなかった」
と言うショートの失敗から、追い込まれて気持ちが伸び切ったとき、培ってきたすべてを出した。それがあの4分間ではなかったか。振り返ってみて、そう思える。
【「4年間よかったと思えると思います」】
「自分が目指していたのは、今日のような演技でした」
「(これからの)4年間よかったと思えると思いますし、その気持ちがどんどん強くなるんじゃないかなと思います」
フリーが終わったあとの浅田の言葉も、印象的だ。
では、あれからひと月とちょっと経って迎える世界選手権は、浅田にとってどんな場となるのだろうか。
ソチから帰国した後の記者会見では、世界選手権に触れてこう語っている。
「今度はショートプログラムもフリーも結果をそろえて、その後のアイスショーで皆さんに感謝の滑りを見せたいです」
【最善を尽くして感謝を伝える場所、世界選手権。】
浅田はソチ五輪のショートからフリーを迎えるまでのわずかな時間に、多くの励ましを受けたと言う。だからソチで、こう語っていた。
「メダルという形で残すことはできなかったけれど、自分の目指す演技ができて、今まで支えてくれた皆さんに、私なりの恩返しができたんじゃないか、と思います」
その言葉にあるように、ソチのフリーの演技で恩返しはできた。
でも、もっと感謝を伝えたい。そのためにも、ソチでは出来なかったショートと合わせて、2つともに完璧な演技をしたい。
オリンピックから世界選手権までの準備の時間は、決して長くはない。4年に一度の大舞台へ向けての日々の、そして大会で費やしたエネルギーの大きさを考えれば、短いと言ってもいい。
それでも浅田は、最善を尽くして感謝を伝えたいと思っている。
それが、さいたまスーパーアリーナで行なわれる世界選手権なのである。
Number Web 松原孝臣 = 文 2014/03/25 10:30
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