フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【3つのジャンプをすべてミス】
ソチ五輪フィギュアスケート女子のショートプログラム(SP)が現地時間19日に行われ、浅田真央(中京大学)はトリプルアクセルで転倒するなど3種類のジャンプすべてにミスが出て、55.51点の16位発進となった。
予想だにしなかった展開に浅田の顔は曇った。「自分の思っているような演技が全然できなくて……気持ちは前に行こうとしていたんですけど、体がついてきませんでした」。直前に滑ったアデリナ・ソトニコワ(ロシア)が出した74.64点というハイスコアに会場が沸き上がる中、最終滑走で登場した浅田は、冒頭のトリプルアクセルで転倒。続くトリプルフリップでは回転不足をとられ、コンビネーションジャンプはダブルループとなるミスを犯してしまった。出来栄え点を表すGOEもジャンプは全てにマイナス評価がついた。
直前の6分間練習ではトリプルアクセルを成功するなど状態は決して悪くなかった。しかし本番を迎えると一変。「何が起こったか分からない」と、ちぐはぐな滑りに終始し、得点の発表を待っている間は放心状態だった。
「リンクに入ってからは落ち着いていたんですけど、滑りだしてからちょっと違うなと。最初のアクセルから『いつもと違う』と思ってしまいました」
演技終了後、悔しさを押し殺しながら浅田はそう振り返った。金メダルを目標として乗り込んできたが、それももはや風前の灯。今季は圧倒的な強さを誇ってきた浅田に一体何が起こったのか。そこには自身も予想し得ない2つの“想定外”があった。
【確実に狂っていた歯車】
1つ目は団体戦における失敗だ。8日の団体女子SPに浅田は日本代表として出場したが、冒頭のトリプルアクセルで転倒し、スコアは今季ワーストの64.07点。「予想していたよりも緊張してしまい、演技をスタートするときも、自分の気持ちを通常のように持っていけないままスタートしてしまいました」。浅田は原因をそう説明したものの、直前にロシアのユリア・リプニツカヤが72.90点という高得点を出し、地元ファンは熱狂。異様な雰囲気の中で演技をスタートしなければならない不運もあった。
「これだけ緊張したのは前回のバンクーバー五輪以来」(浅田)だったが、立て直しはそれほど難しくないように思われた。4年前の経験に加え、一度その会場の雰囲気を味わってしまえば、対策は十分に立てられるからだ。事実、浅田も「まだ時間はあるのでもう一度気持ちを切り替えて、よく考えます」と前を向いていた。
その後、浅田は10日に日本チームが独自に用意した練習拠点で調整するためアルメニアへ移動。日中は15度近くあるソチとは温度差があり、リンクの室温が想定より低かったため、予定を2日ほど早め、15日に再びソチへ戻ってきた。「そこまですごい調子が上がってきていたわけではないです」と17日の直前会見では珍しく不安を吐露したが、「昨日、今日とすごく良い状態でできています。ソチに入ってくるまでに、しっかりと日本で練習ができているので、それを信じてやっていけば大丈夫なのかなと思っています」と、笑顔を見せた。
しかし、浅田の中で確実に歯車は狂っていた。
【失ってしまった自信、心技体がバラバラに】
2つ目の想定外は、自信を失ってしまったことだ。浅田は「中京大で練習しているときはすごく状態が良くて『いける』と思っていた」。だが、団体戦の演技でその自信が不安と焦りに変わってしまった。
思えば、浅田は団体戦終了後にこんな言葉を漏らしていた。「これだけ練習してきてこういう演技だったということは『原因は何なのか』という感じです」。一度失ってしまった自信を取り戻すのは難しい。ましてや納得いく練習を積み、手応えを感じていたにもかかわらず、うまく演技ができなかったとなれば、気持ちの面で受けるダメージは計り知れない。「アルメニアに入ってからは、毎日完璧に滑りたいという気持ちが強かった。でもそれができずにすごい焦っていました」と、浅田は苦悩していた。
そうした状態で迎えた個人戦のSP。最終滑走の浅田にとって嫌な記憶が蘇る。直前に滑ったソトニコワが素晴らしい演技を披露したことで、地元ファンの大声援が会場内に轟いた。まさに団体戦と同じ状況が作られてしまったのだ。
「団体戦ほど動揺はしなかったんですけど、自分の中で負けてしまったんだと感じています」と、浅田は演技後に振り返った。さらに「自分の気持ちからすべて来るものだと思うので、自分でもっと『いける』と思う気持ちを出さなければいけないと思ったんですけど、それを出そうと思ったのがいつもと違ったんだと思います」と続けた。不安が平常心を奪い、それが体に伝わってしまったことで、心技体がバラバラになる。浅田が陥った状況はそういうことなのだろう。
【FSは全トリプルジャンプに挑戦】
首位のキム・ヨナ(韓国)とは19.41点差。3位のカロリーナ・コストナー(イタリア)とも18.61点差と、目標としていた金メダルはおろか表彰台さえも現実的には難しくなった。「スケート人生の集大成」として位置づけたソチ五輪は、SPで事実上の終焉(しゅうえん)を迎えたと言っても過言ではないだろう。
今季限りでの引退を表明している浅田にとって、今大会が最後の五輪となる。2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得。その後の不調を乗り越え、今季はGPシリーズ2勝、ファイナルでも優勝するなど圧倒的な強さを見せていた。佐藤信夫コーチのもと、トリプルアクセルをはじめとしたジャンプだけに頼らず、4年間かけてスケーティングを磨いてきた。今大会は結果を求め、自身の代名詞であるトリプルアクセルを3回から2回に変更。勝負にこだわり、金メダルだけを目指してきた。そんな浅田にとって、SPの時点で早くも希望がついえることになるとは、思いもしなかっただろう。
フリースケーティング(FS)ではアクセルを含む全トリプルジャンプに挑戦する予定だ。これに成功すれば五輪女子初の快挙となる。バンクーバー五輪ではトリプルアクセルを3度成功させて、歴史に名を残した。「明日は明日で自分のやるべきことをしたいと思います」。悔し涙のバンクーバーから続いたソチへの道。笑顔では終われないかもしれないが、ラストダンスで悔いは残してほしくない。
<了>
(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)2014/2/20 11:20
ソチ五輪フィギュアスケート女子のショートプログラム(SP)が現地時間19日に行われ、浅田真央(中京大学)はトリプルアクセルで転倒するなど3種類のジャンプすべてにミスが出て、55.51点の16位発進となった。
予想だにしなかった展開に浅田の顔は曇った。「自分の思っているような演技が全然できなくて……気持ちは前に行こうとしていたんですけど、体がついてきませんでした」。直前に滑ったアデリナ・ソトニコワ(ロシア)が出した74.64点というハイスコアに会場が沸き上がる中、最終滑走で登場した浅田は、冒頭のトリプルアクセルで転倒。続くトリプルフリップでは回転不足をとられ、コンビネーションジャンプはダブルループとなるミスを犯してしまった。出来栄え点を表すGOEもジャンプは全てにマイナス評価がついた。
直前の6分間練習ではトリプルアクセルを成功するなど状態は決して悪くなかった。しかし本番を迎えると一変。「何が起こったか分からない」と、ちぐはぐな滑りに終始し、得点の発表を待っている間は放心状態だった。
「リンクに入ってからは落ち着いていたんですけど、滑りだしてからちょっと違うなと。最初のアクセルから『いつもと違う』と思ってしまいました」
演技終了後、悔しさを押し殺しながら浅田はそう振り返った。金メダルを目標として乗り込んできたが、それももはや風前の灯。今季は圧倒的な強さを誇ってきた浅田に一体何が起こったのか。そこには自身も予想し得ない2つの“想定外”があった。
【確実に狂っていた歯車】
1つ目は団体戦における失敗だ。8日の団体女子SPに浅田は日本代表として出場したが、冒頭のトリプルアクセルで転倒し、スコアは今季ワーストの64.07点。「予想していたよりも緊張してしまい、演技をスタートするときも、自分の気持ちを通常のように持っていけないままスタートしてしまいました」。浅田は原因をそう説明したものの、直前にロシアのユリア・リプニツカヤが72.90点という高得点を出し、地元ファンは熱狂。異様な雰囲気の中で演技をスタートしなければならない不運もあった。
「これだけ緊張したのは前回のバンクーバー五輪以来」(浅田)だったが、立て直しはそれほど難しくないように思われた。4年前の経験に加え、一度その会場の雰囲気を味わってしまえば、対策は十分に立てられるからだ。事実、浅田も「まだ時間はあるのでもう一度気持ちを切り替えて、よく考えます」と前を向いていた。
その後、浅田は10日に日本チームが独自に用意した練習拠点で調整するためアルメニアへ移動。日中は15度近くあるソチとは温度差があり、リンクの室温が想定より低かったため、予定を2日ほど早め、15日に再びソチへ戻ってきた。「そこまですごい調子が上がってきていたわけではないです」と17日の直前会見では珍しく不安を吐露したが、「昨日、今日とすごく良い状態でできています。ソチに入ってくるまでに、しっかりと日本で練習ができているので、それを信じてやっていけば大丈夫なのかなと思っています」と、笑顔を見せた。
しかし、浅田の中で確実に歯車は狂っていた。
【失ってしまった自信、心技体がバラバラに】
2つ目の想定外は、自信を失ってしまったことだ。浅田は「中京大で練習しているときはすごく状態が良くて『いける』と思っていた」。だが、団体戦の演技でその自信が不安と焦りに変わってしまった。
思えば、浅田は団体戦終了後にこんな言葉を漏らしていた。「これだけ練習してきてこういう演技だったということは『原因は何なのか』という感じです」。一度失ってしまった自信を取り戻すのは難しい。ましてや納得いく練習を積み、手応えを感じていたにもかかわらず、うまく演技ができなかったとなれば、気持ちの面で受けるダメージは計り知れない。「アルメニアに入ってからは、毎日完璧に滑りたいという気持ちが強かった。でもそれができずにすごい焦っていました」と、浅田は苦悩していた。
そうした状態で迎えた個人戦のSP。最終滑走の浅田にとって嫌な記憶が蘇る。直前に滑ったソトニコワが素晴らしい演技を披露したことで、地元ファンの大声援が会場内に轟いた。まさに団体戦と同じ状況が作られてしまったのだ。
「団体戦ほど動揺はしなかったんですけど、自分の中で負けてしまったんだと感じています」と、浅田は演技後に振り返った。さらに「自分の気持ちからすべて来るものだと思うので、自分でもっと『いける』と思う気持ちを出さなければいけないと思ったんですけど、それを出そうと思ったのがいつもと違ったんだと思います」と続けた。不安が平常心を奪い、それが体に伝わってしまったことで、心技体がバラバラになる。浅田が陥った状況はそういうことなのだろう。
【FSは全トリプルジャンプに挑戦】
首位のキム・ヨナ(韓国)とは19.41点差。3位のカロリーナ・コストナー(イタリア)とも18.61点差と、目標としていた金メダルはおろか表彰台さえも現実的には難しくなった。「スケート人生の集大成」として位置づけたソチ五輪は、SPで事実上の終焉(しゅうえん)を迎えたと言っても過言ではないだろう。
今季限りでの引退を表明している浅田にとって、今大会が最後の五輪となる。2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得。その後の不調を乗り越え、今季はGPシリーズ2勝、ファイナルでも優勝するなど圧倒的な強さを見せていた。佐藤信夫コーチのもと、トリプルアクセルをはじめとしたジャンプだけに頼らず、4年間かけてスケーティングを磨いてきた。今大会は結果を求め、自身の代名詞であるトリプルアクセルを3回から2回に変更。勝負にこだわり、金メダルだけを目指してきた。そんな浅田にとって、SPの時点で早くも希望がついえることになるとは、思いもしなかっただろう。
フリースケーティング(FS)ではアクセルを含む全トリプルジャンプに挑戦する予定だ。これに成功すれば五輪女子初の快挙となる。バンクーバー五輪ではトリプルアクセルを3度成功させて、歴史に名を残した。「明日は明日で自分のやるべきことをしたいと思います」。悔し涙のバンクーバーから続いたソチへの道。笑顔では終われないかもしれないが、ラストダンスで悔いは残してほしくない。
<了>
(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)2014/2/20 11:20
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【浅田真央「体がうまく動かなかった」】
ソチ五輪のフィギュアスケート女子ショートプログラムが現地時間19日(日本時間20日)に行われ、前回バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(中京大)は自己ベストを20点以上下回る55.51点で16位発進となった。
日本勢は鈴木明子(邦和スポーツランド)が60.97点の8位、村上佳菜子(中京大)は55.60点で15位だった。
首位は前回優勝のキム・ヨナ(韓国)で74.92点、2位には地元ロシアのアデリナ・ソトニコワが74.64点で入った。3位はイタリアのカロリーナ・コストナーで74.12点。
以下、演技後の選手コメント。
【浅田真央「滑りだしてからちょっと違うなと」】
自分の思っているような演技が全然できませんでした。(転倒したトリプルアクセルは、途中まで)いつもの練習通りにいきました。ただ、自分の体がうまく動かなかったです。(先生からは)出番前は特に何も言われなくて、あとは自分の今までやってきたことを信じてというのはいつも言います。
――3回転の予定が2回転になったループはタイミングを逸した?
タイミングもそうですし、自分の中の考えも体も全く動かなかったです。滑っていて、いつもの練習のような状態にならなかったです。最初のアクセルから『いつもと違う』と思ってしまいました。
――リンクに入ってからそう思った?
リンクに入ってからは落ち着いていたんですけど、滑りだしてからちょっと違うなと。でも、いかなきゃというのが頭をよぎってしまいました。
――何が違った?
自分の考えと気持ちが違いました。(気持ちはいくと?)そうですね、でも体が付いてきませんでした。
――6分間練習では悪くなかったが
6分間練習のときは団体戦よりは悪くなかったので大丈夫かなと思ったんですけど、自分の演技のときは自分の思うようにできなかったですね。(緊張感は)団体戦のときから感じていて、それを自分の中で克服していくつもりでしたが、できなかったです。自分ではバンクーバー五輪も経験していますし、五輪も2回目なので、五輪を1度経験することで分かることもたくさんあると思うんですけど、それが逆に良い方向に行かなくて、自分の中でうまく解消できていなかったんだと思います。
――うまく気持ちが盛り上がってこなかった?
いつも練習通りにやろうと思っているので、そこまで緊張して体が動かなくなるということ、そしてこれを明日どう乗り切るかというのは自分でも分からないです。(どういった緊張?)体がうまく動かなくなりました。今まではそれでもできていたんですけど、あまり深く考えずに、明日は自分の演技ができるといいなと思います。
――知っているからこそ怖さを感じた?
でもバンクーバー五輪でできているので、自分のコントロールが足りなかったんだと思います。
――団体も今回も直前に滑っているのがロシアの選手だが、その影響は?
団体戦ですごくそれを感じて、今回もそうなるんだなと思って今日は滑りだしたので、団体戦ほど動揺はしなかったんですけど、自分の中で負けてしまったんだと感じています。
――調整については?
ここに来る前は、中京大ですごく良い状態で、『いけるな』と思ったんですけど、団体戦を滑ってみて、『これで大丈夫かな』という気持ちになって、アルメニアでも練習はしていたんですけど、そこまで調子が上がらないまま、ここに入ってきて……。ここに入ってきてからは調子が良かったんですけど、なかなか自分で『いける』という強い気持ちを持たなくてはいけないと思いすぎたのかもしれません。
――バンクーバー五輪もそれほど調子は悪くなくて本番ではできた。今回は何が違った?
自分の気持ちからすべて来るものだと思うので、自分でもっと『いける』と思う気持ちを出さなければいけないと思ったんですけど、それを出そうと思ったのがいつもと違ったんだと思います。
――フリーに向けてどう立て直す?
明日は明日で自分のやるべきことをしたいと思います。
(スポーツナビ)2014/2/20 5:59
ソチ五輪のフィギュアスケート女子ショートプログラムが現地時間19日(日本時間20日)に行われ、前回バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(中京大)は自己ベストを20点以上下回る55.51点で16位発進となった。
日本勢は鈴木明子(邦和スポーツランド)が60.97点の8位、村上佳菜子(中京大)は55.60点で15位だった。
首位は前回優勝のキム・ヨナ(韓国)で74.92点、2位には地元ロシアのアデリナ・ソトニコワが74.64点で入った。3位はイタリアのカロリーナ・コストナーで74.12点。
以下、演技後の選手コメント。
【浅田真央「滑りだしてからちょっと違うなと」】
自分の思っているような演技が全然できませんでした。(転倒したトリプルアクセルは、途中まで)いつもの練習通りにいきました。ただ、自分の体がうまく動かなかったです。(先生からは)出番前は特に何も言われなくて、あとは自分の今までやってきたことを信じてというのはいつも言います。
――3回転の予定が2回転になったループはタイミングを逸した?
タイミングもそうですし、自分の中の考えも体も全く動かなかったです。滑っていて、いつもの練習のような状態にならなかったです。最初のアクセルから『いつもと違う』と思ってしまいました。
――リンクに入ってからそう思った?
リンクに入ってからは落ち着いていたんですけど、滑りだしてからちょっと違うなと。でも、いかなきゃというのが頭をよぎってしまいました。
――何が違った?
自分の考えと気持ちが違いました。(気持ちはいくと?)そうですね、でも体が付いてきませんでした。
――6分間練習では悪くなかったが
6分間練習のときは団体戦よりは悪くなかったので大丈夫かなと思ったんですけど、自分の演技のときは自分の思うようにできなかったですね。(緊張感は)団体戦のときから感じていて、それを自分の中で克服していくつもりでしたが、できなかったです。自分ではバンクーバー五輪も経験していますし、五輪も2回目なので、五輪を1度経験することで分かることもたくさんあると思うんですけど、それが逆に良い方向に行かなくて、自分の中でうまく解消できていなかったんだと思います。
――うまく気持ちが盛り上がってこなかった?
いつも練習通りにやろうと思っているので、そこまで緊張して体が動かなくなるということ、そしてこれを明日どう乗り切るかというのは自分でも分からないです。(どういった緊張?)体がうまく動かなくなりました。今まではそれでもできていたんですけど、あまり深く考えずに、明日は自分の演技ができるといいなと思います。
――知っているからこそ怖さを感じた?
でもバンクーバー五輪でできているので、自分のコントロールが足りなかったんだと思います。
――団体も今回も直前に滑っているのがロシアの選手だが、その影響は?
団体戦ですごくそれを感じて、今回もそうなるんだなと思って今日は滑りだしたので、団体戦ほど動揺はしなかったんですけど、自分の中で負けてしまったんだと感じています。
――調整については?
ここに来る前は、中京大ですごく良い状態で、『いけるな』と思ったんですけど、団体戦を滑ってみて、『これで大丈夫かな』という気持ちになって、アルメニアでも練習はしていたんですけど、そこまで調子が上がらないまま、ここに入ってきて……。ここに入ってきてからは調子が良かったんですけど、なかなか自分で『いける』という強い気持ちを持たなくてはいけないと思いすぎたのかもしれません。
――バンクーバー五輪もそれほど調子は悪くなくて本番ではできた。今回は何が違った?
自分の気持ちからすべて来るものだと思うので、自分でもっと『いける』と思う気持ちを出さなければいけないと思ったんですけど、それを出そうと思ったのがいつもと違ったんだと思います。
――フリーに向けてどう立て直す?
明日は明日で自分のやるべきことをしたいと思います。
(スポーツナビ)2014/2/20 5:59
【浅田、16位と大きく出遅れる 女子SP】
◇3回転半で転倒
【ソチ芳賀竜也】ソチ五輪第13日の19日、フィギュアスケートの女子ショートプログラム(SP)があり、2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(23)=中京大=はよもやのミスの連続で55.51点の16位と大きく出遅れた。浅田は巻き返しを期して20日のフリーに臨む。
首位は五輪連覇を狙う金妍児(キムヨナ)(23)=韓国=で74.92点。ロシア選手権覇者のアデリナ・ソトニコワ(17)=ロシア=が74.64点で2位、元世界選手権女王のカロリナ・コストナー(27)=イタリア=は74.12点の3位。
バンクーバー五輪8位の鈴木明子(28)=邦和スポーツランド=が60.97点で日本勢最高の8位、五輪初出場の村上佳菜子(19)=中京大=は55.60点で15位。地元ロシアの期待を集めていた15歳、ユリア.リプニツカヤはジャンプの転倒が響いて65.23点の5位だった。
最終滑走者の浅田は得意のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)で転倒するなど技術点が22.63点と伸びず、プログラム構成点は33・88点だった。一方、金妍児は冒頭の3-3回転連続ジャンプを決めるなど技術点39.03点、プログラム構成点が35.89点だった。
毎日新聞 2月20日(木)4時31分
【日本勢に負の連鎖…真央に重なる重圧、後半のジャンプミスが致命傷に】
◇ソチ五輪フィギュアスケート女子SP(2014年2月19日)
“負の連鎖”としか言いようがない。日本人のトップを切って20番目に登場した上佳菜子(19=中京大)が後半の3回転フィリップが1回転になるミス。続いて24番目滑走の鈴木明子(28=邦和スポーツランド)は冒頭の3回転―3回転の1つ目のジャンプで失敗…。重圧の浅田真央(23=中京大)には、いくつもの重圧が重なった。
ただでさえ緊張する最終滑走に加えて、最大のライバルであるキム・ヨナ(23=韓国)が今季世界最高となる74・92点の高得点をマークし、一つもミスが許されない状況に追い込まれていた。さらに浅田の直前に滑った地元ロシアの17歳アデリナ・ソトニコワがそれに迫る高得点を出し、会場は異様ともいえる雰囲気に包まれていた。
冒頭のトリプルアクセルで転倒。これまでは、そこから立て直すこともできた浅田だが、ミスが続いた。3回転フィリップが回転不足になり、高得点が見込めた後半の3回転―2回転のコンビネーションジャンプも2回転のコンボ扱い…。得点は伸びず、日本勢の最下位に沈んだ。
浅田は自分でも何が起きたのか理解できない様子で「自分でも終わってみて、まだ何も分からないです…」の言葉を絞り出すのがやっと。4年前の涙を糧に目指した悲願の金メダルは大きく遠のいた。
スポニチアネックス 2月20日(木)8時1分
----------
一体何があったのかというような結果です。
練習でも強気でできていない感じで不安でしたが…。
村上選手、鈴木選手もミスがあったようです。
日本勢はメダルが厳しい状況ですが、
フリーではそれぞれがやりきったと思えるような演技を期待します。
◇3回転半で転倒
【ソチ芳賀竜也】ソチ五輪第13日の19日、フィギュアスケートの女子ショートプログラム(SP)があり、2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(23)=中京大=はよもやのミスの連続で55.51点の16位と大きく出遅れた。浅田は巻き返しを期して20日のフリーに臨む。
首位は五輪連覇を狙う金妍児(キムヨナ)(23)=韓国=で74.92点。ロシア選手権覇者のアデリナ・ソトニコワ(17)=ロシア=が74.64点で2位、元世界選手権女王のカロリナ・コストナー(27)=イタリア=は74.12点の3位。
バンクーバー五輪8位の鈴木明子(28)=邦和スポーツランド=が60.97点で日本勢最高の8位、五輪初出場の村上佳菜子(19)=中京大=は55.60点で15位。地元ロシアの期待を集めていた15歳、ユリア.リプニツカヤはジャンプの転倒が響いて65.23点の5位だった。
最終滑走者の浅田は得意のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)で転倒するなど技術点が22.63点と伸びず、プログラム構成点は33・88点だった。一方、金妍児は冒頭の3-3回転連続ジャンプを決めるなど技術点39.03点、プログラム構成点が35.89点だった。
毎日新聞 2月20日(木)4時31分
【日本勢に負の連鎖…真央に重なる重圧、後半のジャンプミスが致命傷に】
◇ソチ五輪フィギュアスケート女子SP(2014年2月19日)
“負の連鎖”としか言いようがない。日本人のトップを切って20番目に登場した上佳菜子(19=中京大)が後半の3回転フィリップが1回転になるミス。続いて24番目滑走の鈴木明子(28=邦和スポーツランド)は冒頭の3回転―3回転の1つ目のジャンプで失敗…。重圧の浅田真央(23=中京大)には、いくつもの重圧が重なった。
ただでさえ緊張する最終滑走に加えて、最大のライバルであるキム・ヨナ(23=韓国)が今季世界最高となる74・92点の高得点をマークし、一つもミスが許されない状況に追い込まれていた。さらに浅田の直前に滑った地元ロシアの17歳アデリナ・ソトニコワがそれに迫る高得点を出し、会場は異様ともいえる雰囲気に包まれていた。
冒頭のトリプルアクセルで転倒。これまでは、そこから立て直すこともできた浅田だが、ミスが続いた。3回転フィリップが回転不足になり、高得点が見込めた後半の3回転―2回転のコンビネーションジャンプも2回転のコンボ扱い…。得点は伸びず、日本勢の最下位に沈んだ。
浅田は自分でも何が起きたのか理解できない様子で「自分でも終わってみて、まだ何も分からないです…」の言葉を絞り出すのがやっと。4年前の涙を糧に目指した悲願の金メダルは大きく遠のいた。
スポニチアネックス 2月20日(木)8時1分
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一体何があったのかというような結果です。
練習でも強気でできていない感じで不安でしたが…。
村上選手、鈴木選手もミスがあったようです。
日本勢はメダルが厳しい状況ですが、
フリーではそれぞれがやりきったと思えるような演技を期待します。
【4年間の二人三脚=「よく耐えてくれた」―佐藤コーチ】
【ソチ時事】フィギュアスケートの最後を飾る女子。悲願の金メダルを目指す浅田真央選手(中京大)を指導してきたのが、佐藤信夫コーチ(72)だ。
佐藤コーチは選手として全日本選手権10連覇、2度の五輪出場の実績を持つ。基本技術の指導に定評があり、これまでも元世界女王で娘の佐藤有香さん、トリノ五輪金メダリストの荒川静香さん、安藤美姫(新横浜プリンスク)らを育ててきた。2010年に世界殿堂入りした。
今でこそ、日本はフィギュアの強豪国に数えられるが、佐藤コーチが中学生の頃は、海外の情報すらない時代。家の近所に1週間分ほどのニュースを映像で流す「ニュース館」というのがあり、年に2回ほど海外の大会の様子を見ては「こんなことするんだ」と感心していたという。
初めて国際大会に出場したのが1960年スコーバレー五輪。海外の空気を肌で感じた。役員として参加した68年グルノーブル五輪で、世界を目指す意欲が高まったという。閉会式で、その次の五輪を開く札幌に五輪旗を引き渡すセレモニーで君が代を聞き、「初めて外国で君が代を聞き、日本人だと思った。やっぱり勝たないと駄目。何とか頑張ろうと思った」
浅田選手の指導は10年秋から始まった。コーチの要請を受けた際は「いまさら世界王者に2度もなった人をどうするんだ」という率直な思いもあり、返答に1カ月を要した。長年染みついた悪癖を取り除きながらの指導は、両者とも根気を要したが、ソチ五輪の舞台にたどり着いた。「私もよく頑張ったが、彼女も難しい年齢ながら、よくここまで耐えてくれたと思っている」。ソチ五輪は、4年間の二人三脚の集大成の戦いになる。
時事通信 2月19日(水)17時29分配信
【「真央はすべて変える覚悟ある」母の熱意に心決めた名伯楽】
20日午前0時(日本時間)にショートプログラムで開幕するソチ五輪のフィギュアスケート女子。金メダルが期待される浅田真央(23)を支えるのが佐藤信夫コーチ(72)だ。現役時代は世界とのレベル差をまざまざと見せつけられ、「海外に追いつき、追い越せ」をモットーに、世界女王となった娘の有香さん(41)や荒川静香さん(32)ら多くの選手を育てた。世界殿堂入りも果たす名伯楽が指導を引き受けたのは、平成23年12月に亡くなった浅田の最愛の母、匡子(きょうこ)さん(享年48)の気持ちに応えるためだった。
4年前の夏。1本の電話がかかってきた。今は亡き匡子さんからだった。「会ってほしい」と頼まれ、指導拠点があるJR新横浜駅前のホテルのラウンジで、コーチを打診された。
「世界女王に2度もなった選手を今さら…。正直に申し上げて難しい」。佐藤コーチには、実績のある選手でも、スケーティングは基礎からやり直すという指導信念がある。難色を示したが、匡子さんは「(浅田は)すべてを変える覚悟がある」と食い下がった。
銀メダルに終わったバンクーバー五輪から、浅田はさらなる進化を目指していた。約1カ月悩んだが、体調が優れないにもかかわらず2度も足を運んだ匡子さんの熱意に決意した。
22年秋から本格始動した。練習を休みたがらない浅田に休養の大切さを説き、演技スピードを速くするために基礎からやり直した。最初の2年は世界選手権6位に沈んだが、根気強い指導が次第に技術を向上させた。「一緒にいて落ち着くおじいちゃんみたいな信夫先生」と浅田は信頼を寄せる。
昨年は世界選手権で銅メダルに輝き、ここ2シーズンは国際大会のグランプリ(GP)シリーズで負けなし。大技のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の成功率も高まってきた。
自身が競技を始めたのは昭和20年代後半の小学6年。初めて出場した1960年の米スクォーバレー五輪が初の国際大会。自分の演技よりも、8ミリビデオに海外選手の映像を撮りためることに懸命だった。全日本選手権では前人未到の10連覇。昭和40年の世界選手権では4位と表彰台にあと一歩まで迫った。
コーチとして帯同した1968年仏グルノーブル五輪。4年後に札幌五輪を控え、閉会式のリンクでは五輪旗の引き渡しセレモニーがあった。このとき、外国で初めて君が代を聴いた。「胸にジーンときて。あのとき、思いました。やっぱり勝たないと駄目だよねって」
浅田とともに挑む世界の頂点。佐藤コーチは「出せる最高の力を出してほしい」とリンクに送り出す。(ソチ 田中充)
産経新聞 2月19日(水)18時10分
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真央ちゃんと合ってないのでは?と思ったこともあったけど、
今は佐藤コーチでよかったと思います。
匡子さんの気持ちに応えて指導を引き受けてくれた佐藤コーチに感謝です。
【ソチ時事】フィギュアスケートの最後を飾る女子。悲願の金メダルを目指す浅田真央選手(中京大)を指導してきたのが、佐藤信夫コーチ(72)だ。
佐藤コーチは選手として全日本選手権10連覇、2度の五輪出場の実績を持つ。基本技術の指導に定評があり、これまでも元世界女王で娘の佐藤有香さん、トリノ五輪金メダリストの荒川静香さん、安藤美姫(新横浜プリンスク)らを育ててきた。2010年に世界殿堂入りした。
今でこそ、日本はフィギュアの強豪国に数えられるが、佐藤コーチが中学生の頃は、海外の情報すらない時代。家の近所に1週間分ほどのニュースを映像で流す「ニュース館」というのがあり、年に2回ほど海外の大会の様子を見ては「こんなことするんだ」と感心していたという。
初めて国際大会に出場したのが1960年スコーバレー五輪。海外の空気を肌で感じた。役員として参加した68年グルノーブル五輪で、世界を目指す意欲が高まったという。閉会式で、その次の五輪を開く札幌に五輪旗を引き渡すセレモニーで君が代を聞き、「初めて外国で君が代を聞き、日本人だと思った。やっぱり勝たないと駄目。何とか頑張ろうと思った」
浅田選手の指導は10年秋から始まった。コーチの要請を受けた際は「いまさら世界王者に2度もなった人をどうするんだ」という率直な思いもあり、返答に1カ月を要した。長年染みついた悪癖を取り除きながらの指導は、両者とも根気を要したが、ソチ五輪の舞台にたどり着いた。「私もよく頑張ったが、彼女も難しい年齢ながら、よくここまで耐えてくれたと思っている」。ソチ五輪は、4年間の二人三脚の集大成の戦いになる。
時事通信 2月19日(水)17時29分配信
【「真央はすべて変える覚悟ある」母の熱意に心決めた名伯楽】
20日午前0時(日本時間)にショートプログラムで開幕するソチ五輪のフィギュアスケート女子。金メダルが期待される浅田真央(23)を支えるのが佐藤信夫コーチ(72)だ。現役時代は世界とのレベル差をまざまざと見せつけられ、「海外に追いつき、追い越せ」をモットーに、世界女王となった娘の有香さん(41)や荒川静香さん(32)ら多くの選手を育てた。世界殿堂入りも果たす名伯楽が指導を引き受けたのは、平成23年12月に亡くなった浅田の最愛の母、匡子(きょうこ)さん(享年48)の気持ちに応えるためだった。
4年前の夏。1本の電話がかかってきた。今は亡き匡子さんからだった。「会ってほしい」と頼まれ、指導拠点があるJR新横浜駅前のホテルのラウンジで、コーチを打診された。
「世界女王に2度もなった選手を今さら…。正直に申し上げて難しい」。佐藤コーチには、実績のある選手でも、スケーティングは基礎からやり直すという指導信念がある。難色を示したが、匡子さんは「(浅田は)すべてを変える覚悟がある」と食い下がった。
銀メダルに終わったバンクーバー五輪から、浅田はさらなる進化を目指していた。約1カ月悩んだが、体調が優れないにもかかわらず2度も足を運んだ匡子さんの熱意に決意した。
22年秋から本格始動した。練習を休みたがらない浅田に休養の大切さを説き、演技スピードを速くするために基礎からやり直した。最初の2年は世界選手権6位に沈んだが、根気強い指導が次第に技術を向上させた。「一緒にいて落ち着くおじいちゃんみたいな信夫先生」と浅田は信頼を寄せる。
昨年は世界選手権で銅メダルに輝き、ここ2シーズンは国際大会のグランプリ(GP)シリーズで負けなし。大技のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の成功率も高まってきた。
自身が競技を始めたのは昭和20年代後半の小学6年。初めて出場した1960年の米スクォーバレー五輪が初の国際大会。自分の演技よりも、8ミリビデオに海外選手の映像を撮りためることに懸命だった。全日本選手権では前人未到の10連覇。昭和40年の世界選手権では4位と表彰台にあと一歩まで迫った。
コーチとして帯同した1968年仏グルノーブル五輪。4年後に札幌五輪を控え、閉会式のリンクでは五輪旗の引き渡しセレモニーがあった。このとき、外国で初めて君が代を聴いた。「胸にジーンときて。あのとき、思いました。やっぱり勝たないと駄目だよねって」
浅田とともに挑む世界の頂点。佐藤コーチは「出せる最高の力を出してほしい」とリンクに送り出す。(ソチ 田中充)
産経新聞 2月19日(水)18時10分
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真央ちゃんと合ってないのでは?と思ったこともあったけど、
今は佐藤コーチでよかったと思います。
匡子さんの気持ちに応えて指導を引き受けてくれた佐藤コーチに感謝です。