フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【真央、亡き母にずっと寄り添い…今後は白紙】
母・匡子(きょうこ)さん(享年48)の急死から一夜明けた10日、フィギュアスケート女子の10年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(21=中京大)は報道陣の前に姿を見せなかった。
父・敏治さん(53)がマネジメント会社を通じて発表したコメントによると、匡子さんの死を受け止めて、気丈に振る舞っているという。23日には全日本選手権(大阪・なみはやドーム)が開幕するが、今後については白紙。なお匡子さんの葬儀・告別式は近親者のみで行われる。
匡子さんの急死から一夜明けたこの日、名古屋市内にある、浅田の自宅はひっそりと静まりかえっていた。数人の来客があったものの、浅田本人が姿を見せることはなかった。マネジメント会社の担当者は「(浅田が)どこにいるかは言えませんが、お母さんと一緒にいます」と話し、最愛の母にずっと寄り添っていることを明かした。
午後には父・敏治さんがマネジメント会社を通じてコメントを発表した。浅田と姉・舞の様子については「母のやすらかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、今は気丈にしています」と説明した。マネジメント会社の担当者も「(浅田は)今はだいぶ落ち着いています」と話しており、冷静さを取り戻しているもようだ。
GPファイナル出場のために、カナダ・ケベックに遠征していた浅田は、匡子さんの容体が急変したとの連絡を受けて8日に緊急帰国。だが日本に向かっている最中の9日早朝、匡子さんは肝硬変のため、名古屋市内の病院で息を引き取った。
9日午後7時すぎに中部国際空港到着後、浅田は病院に直行。亡き母と無言の対面を果たした。そして、家族とともに自宅に戻っていた。成田空港到着時には目に涙を浮かべるなど、大きなショックを受けていることは明らかだった。
葬儀・告別式は、匡子さんの希望により近親者のみで行われる。「本来なら、故人が生前お世話になった皆さまにも最後のお別れをさせていただかなければならないところ、誠に勝手ながら生前からの故人の強い希望で、葬儀は家族だけで執り行わせていただきます」と敏治さんはコメントしている。
浅田は、週明けにもマネジメント会社を通じ、コメントを発表する予定だ。その後、本人が会見を開く可能性もあるという。23日に開幕する全日本選手権の出場についてマネジメント会社の担当者は「まだ本人と話をしていないし、話せる状況でもない」と説明。別の関係者も「全日本を含めて今後は一切、白紙」とした。大きな悲しみを乗り越えて、浅田がリンクに戻ってくるのはいつになるのか。天国の母はきっと、その日を待っているはずだ。
スポニチアネックス 12月11日(日)7時0分配信
【「真央は気丈」父・敏治さん明かす】
フィギュアスケート女子の浅田真央(21)=中京大=の母・匡子(きょうこ)さんが9日早朝、名古屋市内の病院で死去した。48歳。カナダ、ケベックで開幕したGPファイナルを欠場し、9日に帰国した真央だったが、最愛の母の最期には間に合わなかった。静かに眠る母と対面した浅田は、家族とともに名古屋市内の自宅に戻り、10日は一緒に家族水入らずの時を過ごし、気丈にふるまっているという。通夜は11日、告別式は12日で、ともに名古屋市内で近親者のみで行う。
悲しすぎる現実を、真央は必死に受けとめようとしていた。カナダから帰国後、名古屋市内の病院に直行し、帰らぬ人となった母と対面。その後は姉の舞とともに自宅に戻り、10日も家族だけで過ごした。
喪主を務める父敏治さん(53)はマネジメント会社を通じ「舞も真央も、母のやすらかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、気丈にしています」と、娘たちの様子を明らかにした。
緊急帰国したが、間に合わなかった。真央に匡子さんの容体が急変したという連絡が入ったのは、現地時間の8日朝。3年ぶりの出場だったGPファイナル欠場を決断し、カナダ・ケベックを出発。シカゴ、成田を経由して9日夜に中部国際空港に到着したが、約20時間に及んだ移動時間は、あまりにも長すぎた。
浅田姉妹にとって、匡子さんは最大の理解者だった。幼少期から毎日のようにスケート場へ車で送迎し、自身のバレエの経験を生かした技術的なアドバイスを送った。練習環境に恵まれなかった期間は氷を求め各地のリンクを転々とし、移動の合間に仮眠できるように車内に布団も積んでいた。「真央が天才と思われる人が多いかもしれないけど、実際は舞の方がそういう面がある。練習しないでも、簡単に難しいジャンプを跳べちゃうから。それに対抗するように真央は必死に練習していた。あの2人はいいバランスなんです」。愛娘2人の成長が、匡子さんの何よりの楽しみだった。バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した真央も、誰に見せたいかと問われると「お母さんです」と即答したほど、強い絆で結ばれていた。それだけに、今後の競技に影響が出ることも懸念される。
11日の通夜、12日の告別式は、匡子さんの生前からの強い意向もあり、家族だけで執り行う。敏治さんは「今後とも娘たちを温かく見守っていただけますようお願いいたします」と、結んだ。
真央にとって、復活の兆しを見せたシーズンで、突如襲った大きな悲しみ。ただ、ゆっくりでもいい、きっと乗り越えてくれることを誰もが願っている。
デイリースポーツ 12月11日(日)7時50分配信
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今後のことなど、今は考えられないでしょう。
ファンは静かに待たなくてはいけませんね。
母・匡子(きょうこ)さん(享年48)の急死から一夜明けた10日、フィギュアスケート女子の10年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(21=中京大)は報道陣の前に姿を見せなかった。
父・敏治さん(53)がマネジメント会社を通じて発表したコメントによると、匡子さんの死を受け止めて、気丈に振る舞っているという。23日には全日本選手権(大阪・なみはやドーム)が開幕するが、今後については白紙。なお匡子さんの葬儀・告別式は近親者のみで行われる。
匡子さんの急死から一夜明けたこの日、名古屋市内にある、浅田の自宅はひっそりと静まりかえっていた。数人の来客があったものの、浅田本人が姿を見せることはなかった。マネジメント会社の担当者は「(浅田が)どこにいるかは言えませんが、お母さんと一緒にいます」と話し、最愛の母にずっと寄り添っていることを明かした。
午後には父・敏治さんがマネジメント会社を通じてコメントを発表した。浅田と姉・舞の様子については「母のやすらかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、今は気丈にしています」と説明した。マネジメント会社の担当者も「(浅田は)今はだいぶ落ち着いています」と話しており、冷静さを取り戻しているもようだ。
GPファイナル出場のために、カナダ・ケベックに遠征していた浅田は、匡子さんの容体が急変したとの連絡を受けて8日に緊急帰国。だが日本に向かっている最中の9日早朝、匡子さんは肝硬変のため、名古屋市内の病院で息を引き取った。
9日午後7時すぎに中部国際空港到着後、浅田は病院に直行。亡き母と無言の対面を果たした。そして、家族とともに自宅に戻っていた。成田空港到着時には目に涙を浮かべるなど、大きなショックを受けていることは明らかだった。
葬儀・告別式は、匡子さんの希望により近親者のみで行われる。「本来なら、故人が生前お世話になった皆さまにも最後のお別れをさせていただかなければならないところ、誠に勝手ながら生前からの故人の強い希望で、葬儀は家族だけで執り行わせていただきます」と敏治さんはコメントしている。
浅田は、週明けにもマネジメント会社を通じ、コメントを発表する予定だ。その後、本人が会見を開く可能性もあるという。23日に開幕する全日本選手権の出場についてマネジメント会社の担当者は「まだ本人と話をしていないし、話せる状況でもない」と説明。別の関係者も「全日本を含めて今後は一切、白紙」とした。大きな悲しみを乗り越えて、浅田がリンクに戻ってくるのはいつになるのか。天国の母はきっと、その日を待っているはずだ。
スポニチアネックス 12月11日(日)7時0分配信
【「真央は気丈」父・敏治さん明かす】
フィギュアスケート女子の浅田真央(21)=中京大=の母・匡子(きょうこ)さんが9日早朝、名古屋市内の病院で死去した。48歳。カナダ、ケベックで開幕したGPファイナルを欠場し、9日に帰国した真央だったが、最愛の母の最期には間に合わなかった。静かに眠る母と対面した浅田は、家族とともに名古屋市内の自宅に戻り、10日は一緒に家族水入らずの時を過ごし、気丈にふるまっているという。通夜は11日、告別式は12日で、ともに名古屋市内で近親者のみで行う。
悲しすぎる現実を、真央は必死に受けとめようとしていた。カナダから帰国後、名古屋市内の病院に直行し、帰らぬ人となった母と対面。その後は姉の舞とともに自宅に戻り、10日も家族だけで過ごした。
喪主を務める父敏治さん(53)はマネジメント会社を通じ「舞も真央も、母のやすらかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、気丈にしています」と、娘たちの様子を明らかにした。
緊急帰国したが、間に合わなかった。真央に匡子さんの容体が急変したという連絡が入ったのは、現地時間の8日朝。3年ぶりの出場だったGPファイナル欠場を決断し、カナダ・ケベックを出発。シカゴ、成田を経由して9日夜に中部国際空港に到着したが、約20時間に及んだ移動時間は、あまりにも長すぎた。
浅田姉妹にとって、匡子さんは最大の理解者だった。幼少期から毎日のようにスケート場へ車で送迎し、自身のバレエの経験を生かした技術的なアドバイスを送った。練習環境に恵まれなかった期間は氷を求め各地のリンクを転々とし、移動の合間に仮眠できるように車内に布団も積んでいた。「真央が天才と思われる人が多いかもしれないけど、実際は舞の方がそういう面がある。練習しないでも、簡単に難しいジャンプを跳べちゃうから。それに対抗するように真央は必死に練習していた。あの2人はいいバランスなんです」。愛娘2人の成長が、匡子さんの何よりの楽しみだった。バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した真央も、誰に見せたいかと問われると「お母さんです」と即答したほど、強い絆で結ばれていた。それだけに、今後の競技に影響が出ることも懸念される。
11日の通夜、12日の告別式は、匡子さんの生前からの強い意向もあり、家族だけで執り行う。敏治さんは「今後とも娘たちを温かく見守っていただけますようお願いいたします」と、結んだ。
真央にとって、復活の兆しを見せたシーズンで、突如襲った大きな悲しみ。ただ、ゆっくりでもいい、きっと乗り越えてくれることを誰もが願っている。
デイリースポーツ 12月11日(日)7時50分配信
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今後のことなど、今は考えられないでしょう。
ファンは静かに待たなくてはいけませんね。
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