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フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【GPファイナル進出選手が出そろう】

 フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズの成績上位6人・組が争うGPファイナル(12月5~7日、福岡)進出選手が出そろった。女子は、日本からは浅田真央(中京大)1人にとどまった一方、ソチ五輪開催地のロシア勢が4人入った。男子は、日本勢が町田樹(関大)、羽生結弦(ANA)、高橋大輔(関大大学院)と半数を占めた。

毎日新聞 11月24日(日)0時43分配信


【日本女子、浅田真央だけがGPファイナル出場】

 フィギュアスケートのGPシリーズ6試合の結果、GPファイナル(12月5~7日、福岡)出場選手が確定した。

 女子の日本勢は浅田真央(中京大)のみで、鈴木明子(邦和スポーツランド)は出場を逃した。出場選手は以下の通り。

 ▽女子 〈1〉浅田〈2〉リプニツカヤ〈3〉アシュリー・ワグナー(米)〈4〉アンナ・ポゴリラヤ(ロシア)〈5〉アデリナ・ソトニコワ(ロシア)〈6〉エレーナ・ラジオノワ(ロシア)(丸数字はGPポイントランキング)

読売新聞 11月23日(土)22時37分配信


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男子は相変わらず日本が強いですが、女子は真央ちゃんだけでびっくりです。
ロシア勢が4人と、ソチ五輪開催の影響も感じますが…。
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【「高橋と魂が通じた」 フィギュア屈指の振付師】



 ローリー・ニコルさんはフィギュアスケート界でその名を知らぬ人はいない振付師だ。1996年、当時15歳のミシェル・クワン(米国)に世界女王のタイトルをもたらして名をはせ、これまで数々の名作を作ってきた。来年のソチ五輪では浅田真央(中京大)、高橋大輔、織田信成(ともに関大大学院)の振り付けを担当するなど日本との関係も深い。選手に寄せる思いや振付師の役割などについて聞いた。

【ノクターン、浅田にぴったり】



 ――バンクーバーは「ローリーの五輪」とも言われた。ペアの申雪、趙宏博(中国)、男子のエバン・ライサチェク(米国)に金メダル、女子のジョアニー・ロシェット(カナダ)に銅メダルをもたらした。最近もパトリック・チャン(カナダ、2012年で関係解消)、カロリナ・コストナー(イタリア)、ペアの龐清、●(にんべんに冬)健(中国)ら実力派がズラリ。浅田にも15歳のころから振り付けをしてきた。ソチ五輪のショートプログラム(SP)には06~07年シーズンと同じ、ショパン作曲「ノクターン」を選んだ。

 「私にとって『ノクターン』は甘くて柔らかく、思慮深くて優しい。でも強い曲。まさに真央に対して私が持つイメージそのもの。ぴったりの曲だわ」

 「真央は出会ったころ、無邪気な14歳の女の子そのものだった。この年代は選曲が難しい。あっという間に成長するし、日々変わるから。15歳の真央に『ノクターン』を選んだのは、真央を見るといつもショパンを思い出すから。羽のように氷上を滑る姿……。ショパンは真央のための作曲家だと思う」

 「まだ子供っぽかったから、エキシビションに『オズの魔法使い』も使ったけれど、『ノクターン』で彼女がアーティストとしても成長する手助けをしたかった。23歳の今は『ノクターン』に漂うもの悲しさ、曲の多層性を理解できる」

 「真央はいつも氷との特別な関係を感じる。ほとんど力を加えず、飛ぶように進む。お湯に浸した温かいナイフで冷たいバターを切るように滑らか。真央が滑る音は美しくて、すぐ真央ってわかる。14歳のころからね」

【若手育成、ビジョンが大切】

 ――ニコルさんは元コーチ。出産を機に振付師に専念した。選手が子供のころから振り付けを担当し、何年もかけて1人のスケーターを育ててきた。代表例がクワンだ。

 「彼女に初めて会ったのは12歳のころかな。当時の女子スケーターはただかわいくてキュートなだけ。力強いけれど美しくて繊細、エキゾチックで独立した一人の女性であるスケーターを育てたかった。それがミシェル。15歳で『サロメ』で世界女王になり、いきなりすごいと言われたけれど、その前に3年半の下積みがあった」

 「パトリックもそうね。しかし子供のころはスケートにしか興味がなくて、表現に対し興味を持てるよう仕向けるプログラムを提供してきた。若い選手を担当するときは『こういう選手にしたい』というビジョンを持つことが大切」

【愛情込めプログラム作り】

 ――浅田には05年に出会うが、10年バンクーバー五輪シーズンだけプログラムを作っていない。

 「真央とは距離的に離れ過ぎていたのが残念。と同時に時代が変わった。ミシェルのころはSP、フリー、エキシビションまで担当し、芸術面すべてに責任を持たせてもらえた。今はプログラムごとに振付師を変える。スケーターがとれる時間が減り、振り付けしにくい面もある」

 「私は情が深いタイプだから、ずっと愛情を込めてプログラムを作ってきた選手が離れていくのはつらい。でもビジネスだから仕方ないわね」

【モロゾフコーチに戸惑い】

 ――高橋は今季、初めて振り付けした。昨季も依頼されたが、断っている。高橋を指導するニコライ・モロゾフコーチのスタイルが好きでないからだ。振り付けを無断で変えられるのを、ニコルさんは嫌がる。過去に織田に提供したプログラムに、モロゾフ氏が加えた修正に戸惑ったようだ。

 「テレビを見ていて、あらっていうことはあるわ。自分の振り付けに誇りを持っているから。一部を変えただけで全てが変わることもある。特にステップやペアのリフトとか。すごいショックなの」

 「選手の個性に合わせて曲を選ぶ。リズム、ハーモニーと、選手の技術力、長所、短所を踏まえて、エレメンツをこなせるように振り付ける。私のプログラムは、エッジが作る曲線、エッジの深さ、滑るテンポ、スケートに必要な要素はすべて入っているし、曲や感情に合った体の動かし方、ステップ、ターンもすべてが織り込まれている」

 「芸術と技術のバランスがとれたプログラムが、美しくて得点もとれるいいプログラム。6点満点時代も現ルールでも、このスタイルは変えていない」

 「一生懸命に練習すればできるように作っても、ケガをしたり『どうしてもこのステップからこのジャンプがダメ』だったりするといった理由で修正を頼まれる。それはOKよ。いくらでもアイデアはある。私はコーチだったから分かる。ジャンプが跳べなきゃ、プログラムは元も子もない」

【すべての振付師の夢】



 「ファンやスポンサーとのイベントが多くて練習時間が減ったり、単純に練習せずに振り付けを一部省いて、プログラムを勝手に簡単にしてしまったりする。中には、一つの修正がプログラム全体を変えてしまうこともある。それには耐えられない」

 ――モロゾフコーチがいるのに、どの選手も勝負を賭ける五輪シーズンに高橋が出したオファーは受けた。

 「大輔はすべての振付師の夢。完成されたスケーターを担当するのは、若い選手より楽な面もある一方、ものすごいナーバスになった。既に“伝説”の選手である彼が、私を信じて五輪プログラムを託してくれるのはプレッシャーだった。3月の世界選手権(カナダ)であいさつした程度しか、大輔のことは知らなかったし。要するに、あっ、彼が好きだなって感じたの」

【私も大輔も情熱的だから】

 ――高橋は選曲について全面的に振付師を信頼する。自分で選ぶと好みが偏るからだ。初仕事では、過去の大輔の演技の映像を見て滑りを研究し、いくつか質問した。

 「彼という人間を知りたかったし、スケートで表現したいこと、スケート観を聞いた。そうしたら『何か違うもの。ファンに感謝の気持ちを伝えたい』って応えた。そして、僕をどう思うかと聞いてきた」

 「私は大輔のタンゴとパッションが大好きだった。彼はタンゴの音楽のために生まれてきたって思うわ。でもフリーの4分半もタンゴを滑ってはほしくなかった。ずっと心に秘めていた音楽が、ビートルズの『Come Together』のタンゴ版。大好きで、セミナーで使うことがあったけれど、これに合う選手にずっと出会えなかった」

 「息子が子供のころ着ていたTシャツで、地球が3つに割れていながらピースマークのようにつながっている柄を思い出して、プログラムのイメージが固まった。わかりにくいかしら。でも私も大輔も情熱的だから、この点で魂が通じたと感じる瞬間があった」

【曲は「ファンへの感謝」に合致】



 ――フリーはビートルズの楽曲のメドレーになっている。

 「『Yesterday』は好きなの。エネルギーがあるけれど、大輔が序盤、落ち着いて高難度のジャンプを跳ぶのにいいテンポ。続いて『Come Together』。最後にガチャンと砕けるような音がクールよ。続いて、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの『Friends and Lovers』。私にはタンゴっぽい感じがしたの。友達と愛すべき人っていうのも、大輔が望んだ『ファンへの感謝』というテーマに合う」

 「次の『In My Life』は、俳優のショーン・コネリーが歌詞を朗読するCDがあって、『I love you more』というフレーズにピンと来た。これは詩的なプログラムよ。大輔は氷上の詩人でしょ。ファンに『愛してる』と伝えた後は、『Long And Winding Road』。ここまで美しい旅、アップダウンもあり、困難があっても人生。大輔は人生礼賛ができる」

【振付師はチアリーダー】

 ――ニコルさんは試合会場に姿を現すことは少ない。

 「まず私は母であり妻だから。02年のソルトレークシティー五輪は、担当したカナダペアが採点問題に巻き込まれて行ったけれど、そんなのはゴメンよ。バンクーバーは異常事態。五輪の1カ月前、カナダ選手権直前に、チャンのコーチが彼を解雇した。振付師として付き合いの長かった私が、カナダ連盟にコーチを頼まれて引き受けた。米国チームでエバンと合流する予定だったから、大変だった」

 「ソチは多分、行くと思う。振付師はチアリーダーよ。選手たちは、私がそばにいなくても試合で滑ることができるだけの力をつけていると願っているわ」

(聞き手は原真子) 2013/11/16 7:00
【一流選手の言葉には品位漂うが… 浅田真央に感涙】



 一流選手の言葉や態度にはおのずと“品位”が漂うものなんだ、とつくづく思った。先週開催されたフィギュアスケートGPシリーズ第4戦「NHK杯」で、今季世界最高の207・59という得点をたたきだし、圧倒的強さで優勝した浅田真央(23)の言葉と振る舞いに感銘を受けた。

 「…花束が“降りてきた”ときには、とても心が熱くなりました…」

 アイスアリーナの観客席はファンが見やすいようにリンクを中心に高くそびえるような構造になっている。滑り終えた選手をたたえるとき、多くのファンがリンクに花束を投げ入れるのが恒例。浅田はその光景に“投げ入れられた”ではなく、“降りてきた”と表現した。なかなか思い浮かばない素敵な言葉である。

 そこにファンからの気持ちをいとおしく、優しく感謝を込めて受け止める姿が見えた気がした。この感性には、うるっ(涙)ものでしょう。

 さらに。表彰式では表彰台の中央へ。国歌斉唱に国旗掲揚…。テレビで浅田の表情を追っていたが、日の丸を見つめちゃんと口を開き「君が代」を斉唱する姿があった。当たり前のことだが“真央ちゃん、アンタは偉い”ってその姿にまたうるっ(涙)でした。

 こういった言葉遣い、振る舞いっていうのは一流人には共通している。たとえばサッカー界の“キングカズ”こと三浦知良、野球界では王貞治さんや松井秀喜さんのような一流人。どんなときも隙がなく、ふと発する言葉にも品がある。だからいつまでも輝いているのだろう。

 そんな折、ちょっと残念なシーンに出合った。先週開催された男子ゴルフ「HEIWA・PGM選手権」での池田勇太プロの言葉に…。

 「…っ、いつまで待たせるんだよっ」

 2日目、ラウンド後のテレビインタビュー、ちょっとだけ待たされた時につい発せられた。その後のインタビューは滞りなく行われたが、何とも残念な言葉だった。

 ツアー通算11勝、人気者の1人である。今年から選手会長に就任、男子ゴルフ界の発展に尽くしている姿があった。その翌日のチャリティーオークションでは率先して奮闘していたのに…。池田はリーダーになれる器だから、あえて書いた。

 「ファンっていうのはね、たった一日、一瞬しか見られない人たちだっている。だからプロは決して手を抜いちゃいけないんだ」。野球界のスーパースターの長嶋茂雄さんや王さんがよく話していたプロの流儀である。池田の周囲にはギャラリーの姿もあった。そう、いつもプロは見られている…。 (産経新聞特別記者・清水満)

2013.11.15
【「真央、あの時を思い出して」ソチ五輪へ タラソワコーチの胸中は】

 〈来年2月のソチ冬季五輪に臨むフィギュアスケート女子のエース、浅田真央選手。タラソワさんが彼女の才能を見初めてから10年以上が経過した〉

 真央はもう23歳になるのね。スポーツの世界の第一線で10年以上も戦ってきた。これだけ長い間、最高の状態を維持しているというのは、並大抵のことではない。この間に、真央は最愛の母親をなくし、大きなショックを受けた。それでも、いつも世界中の大会に出場して、トップランクの位置を保った。

 すごいことだわ。今の真央は過去の自分自身を見つめ直し、全てを一新した姿を見せる必要がある。難しいことだけど彼女ならできる。いつも努力を怠らず成長し続ける人だから。

 〈今年4月、浅田選手は今季で競技人生を終えることを決断した。「ソチ五輪を集大成にして、いい演技ができるようにしたい」と胸中を明かした〉

 キャリアというものには終わりがない。私たちのスケート人生は終わらない。真央は選手生活を終え、別のステージに移動するだけ。彼女はきっと、世界中でアイスショーを演じることになるでしょう。自分の劇場を作るようなもの。大きな経験になる。

 〈悲願の金メダル獲得の前に、立ちはだかるライバルたち。タラソワさんは韓国のキム・ヨナ選手のことも気になっていると明かした〉

 バンクーバー五輪の後、真央は、ゆっくり体を休めることが必要だったと思う。そう、キム・ヨナのように。彼女は1年半以上、競技を中断した。真央にも心の休息が必要だったと思う。母親を亡くしたことは大きな悲劇だったのよ。五輪の後には、世界選手権などの大きな大会だけ出場するという選択肢もあった。他の大会は不参加にしてね。競技スケジュールは誤って計画されたのではないかしら。私なら真央を解放したわ。

 〈「真央をいつでも守る」。そう公言してはばからない〉

 真央がそばにいないときでも彼女のことを考えている。昨シーズンは1つの衣装で大会に出ていたから、演目の「白鳥の湖」に合うように、羽根つきの衣装を贈ったの。私は彼女の演技が大好き。もし彼女が勝ち続けることができたら、私が振り付けしたプログラムも勝利を得たということよ。

 〈「真央の祖国である日本に敬意を表すため」と時間を割いてくれたタラソワさん。「浅田選手にアドバイスを」と頼むと、1分ほど沈黙した後、こう答えた〉

 真央、フリーで2回のトリプルアクセル(3回転半)を成功したときのことを思い出しなさい。誰もができないことを成し遂げたときのことを思い起こしなさい。そして、そのために全てをかけなさい。(聞き手 佐々木正明)

産経新聞 11月15日(金)12時15分配信
【「真央、恋をしなさい」タラソワコーチがアドバイス】



 〈2010年のバンクーバー五輪に向け、パートナーを組んだ浅田真央選手とタラソワさん。お茶の間では2人の師弟関係が大きな話題となった。タラソワさんは当時、浅田選手にこんなアドバイスを送っていた。「真央、恋をしなさい」〉

 誰かのことを真剣に思い続けるのが恋というもの。恋は何らかの変化をもたらし、インスピレーションを与えてくれる。自分を鼓舞してくれる。力がみなぎってくる。恋はこの世に存在する物事の中で、最も素晴らしいことなのよ。

 〈タラソワさんはいつでも浅田選手を励まし、大会で高得点を獲得すれば人前でも抱きしめた〉

 私はいつも真央と波長を合わせていた。だから、試合前には言葉は必要ない。目を見つめて、手を握ってあげる。時々、とても短い言葉をかけてあげる。たった一言ね。私がリンクで通訳を介することはごく少なかった。言葉をかけたい時には、私が日本語を覚えたわ。真央は何を言いたいかを感じ取り、理解してくれていた。

 〈夢中で取り組んだという3年前のバンクーバー五輪。浅田選手は銀メダルだった〉

 ショートプログラムで1回、フリーで2回のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させた。女子が跳べる技術じゃない。真央の練習ぶりはまったく驚くべきもので、ミスは少なく、五輪でも十分に3回跳ぶ準備ができていた。これは前人未到の記録だし、これからも長年、破られることはないでしょう。

 フリーの前日、私は真央には休息が必要だと思っていた。でも、私は日本人関係者の希望もあって、練習を中止することができなかった。結局、真央は疲れからフリーの途中で力尽き、後半でミスをしてしまった。十分に勝つチャンスはあったと思う。五輪の後、私はコーチの座を退いた。前日に、練習を止められなかった自分にも責任があったから。

 〈タラソワさんと離れた浅田選手はバンクーバー五輪の後、調子を落とした。そして2011年12月、浅田選手の競技人生を支えてきた母、匡子(きょうこ)さんがこの世を去った〉

 真央がモスクワに来るときはいつもお母さんと一緒で、私は尊敬の念を持って、匡子さんと接していた。控えめでとても聡明(そうめい)で、真央に強いパワーを与える方だった。

 匡子さんは亡くなる前に私に手紙を下さいました。感謝の言葉が記されていたが、病気のことには一言も触れていなかった。この手紙は病に伏せた人が書く文章だと、後になって理解した。本当に芯の強い方だった。母親の死は真央にとって最大の悲劇だった。そして私も真央の元を去った。私たちは真央のエネルギーの源だった。だから、調子を落としたのも無理はないのです。(聞き手 佐々木正明)

産経新聞 11月14日(木)12時15分配信
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