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フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【「真央、あの時を思い出して」ソチ五輪へ タラソワコーチの胸中は】

 〈来年2月のソチ冬季五輪に臨むフィギュアスケート女子のエース、浅田真央選手。タラソワさんが彼女の才能を見初めてから10年以上が経過した〉

 真央はもう23歳になるのね。スポーツの世界の第一線で10年以上も戦ってきた。これだけ長い間、最高の状態を維持しているというのは、並大抵のことではない。この間に、真央は最愛の母親をなくし、大きなショックを受けた。それでも、いつも世界中の大会に出場して、トップランクの位置を保った。

 すごいことだわ。今の真央は過去の自分自身を見つめ直し、全てを一新した姿を見せる必要がある。難しいことだけど彼女ならできる。いつも努力を怠らず成長し続ける人だから。

 〈今年4月、浅田選手は今季で競技人生を終えることを決断した。「ソチ五輪を集大成にして、いい演技ができるようにしたい」と胸中を明かした〉

 キャリアというものには終わりがない。私たちのスケート人生は終わらない。真央は選手生活を終え、別のステージに移動するだけ。彼女はきっと、世界中でアイスショーを演じることになるでしょう。自分の劇場を作るようなもの。大きな経験になる。

 〈悲願の金メダル獲得の前に、立ちはだかるライバルたち。タラソワさんは韓国のキム・ヨナ選手のことも気になっていると明かした〉

 バンクーバー五輪の後、真央は、ゆっくり体を休めることが必要だったと思う。そう、キム・ヨナのように。彼女は1年半以上、競技を中断した。真央にも心の休息が必要だったと思う。母親を亡くしたことは大きな悲劇だったのよ。五輪の後には、世界選手権などの大きな大会だけ出場するという選択肢もあった。他の大会は不参加にしてね。競技スケジュールは誤って計画されたのではないかしら。私なら真央を解放したわ。

 〈「真央をいつでも守る」。そう公言してはばからない〉

 真央がそばにいないときでも彼女のことを考えている。昨シーズンは1つの衣装で大会に出ていたから、演目の「白鳥の湖」に合うように、羽根つきの衣装を贈ったの。私は彼女の演技が大好き。もし彼女が勝ち続けることができたら、私が振り付けしたプログラムも勝利を得たということよ。

 〈「真央の祖国である日本に敬意を表すため」と時間を割いてくれたタラソワさん。「浅田選手にアドバイスを」と頼むと、1分ほど沈黙した後、こう答えた〉

 真央、フリーで2回のトリプルアクセル(3回転半)を成功したときのことを思い出しなさい。誰もができないことを成し遂げたときのことを思い起こしなさい。そして、そのために全てをかけなさい。(聞き手 佐々木正明)

産経新聞 11月15日(金)12時15分配信
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【「真央、恋をしなさい」タラソワコーチがアドバイス】



 〈2010年のバンクーバー五輪に向け、パートナーを組んだ浅田真央選手とタラソワさん。お茶の間では2人の師弟関係が大きな話題となった。タラソワさんは当時、浅田選手にこんなアドバイスを送っていた。「真央、恋をしなさい」〉

 誰かのことを真剣に思い続けるのが恋というもの。恋は何らかの変化をもたらし、インスピレーションを与えてくれる。自分を鼓舞してくれる。力がみなぎってくる。恋はこの世に存在する物事の中で、最も素晴らしいことなのよ。

 〈タラソワさんはいつでも浅田選手を励まし、大会で高得点を獲得すれば人前でも抱きしめた〉

 私はいつも真央と波長を合わせていた。だから、試合前には言葉は必要ない。目を見つめて、手を握ってあげる。時々、とても短い言葉をかけてあげる。たった一言ね。私がリンクで通訳を介することはごく少なかった。言葉をかけたい時には、私が日本語を覚えたわ。真央は何を言いたいかを感じ取り、理解してくれていた。

 〈夢中で取り組んだという3年前のバンクーバー五輪。浅田選手は銀メダルだった〉

 ショートプログラムで1回、フリーで2回のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させた。女子が跳べる技術じゃない。真央の練習ぶりはまったく驚くべきもので、ミスは少なく、五輪でも十分に3回跳ぶ準備ができていた。これは前人未到の記録だし、これからも長年、破られることはないでしょう。

 フリーの前日、私は真央には休息が必要だと思っていた。でも、私は日本人関係者の希望もあって、練習を中止することができなかった。結局、真央は疲れからフリーの途中で力尽き、後半でミスをしてしまった。十分に勝つチャンスはあったと思う。五輪の後、私はコーチの座を退いた。前日に、練習を止められなかった自分にも責任があったから。

 〈タラソワさんと離れた浅田選手はバンクーバー五輪の後、調子を落とした。そして2011年12月、浅田選手の競技人生を支えてきた母、匡子(きょうこ)さんがこの世を去った〉

 真央がモスクワに来るときはいつもお母さんと一緒で、私は尊敬の念を持って、匡子さんと接していた。控えめでとても聡明(そうめい)で、真央に強いパワーを与える方だった。

 匡子さんは亡くなる前に私に手紙を下さいました。感謝の言葉が記されていたが、病気のことには一言も触れていなかった。この手紙は病に伏せた人が書く文章だと、後になって理解した。本当に芯の強い方だった。母親の死は真央にとって最大の悲劇だった。そして私も真央の元を去った。私たちは真央のエネルギーの源だった。だから、調子を落としたのも無理はないのです。(聞き手 佐々木正明)

産経新聞 11月14日(木)12時15分配信
【タラソワコーチ、15歳の真央に衝撃「世代を超える滑りだった」】



 〈2005年12月、東京で行われたグランプリ(GP)ファイナル。タラソワさんは浅田真央選手の滑りに衝撃を受けた。15歳の少女がロシアの女王、イリーナ・スルツカヤ選手を破り、優勝したのだ〉

 あのシーズン、スルツカヤはとても調子がよかった。全ての大会で勝利を手にし、記録的な得点を獲得していた。真央は技術的にもスルツカヤに近づいていた。世代を超える滑りだったわ。

 〈しかし、浅田選手は年齢制限のため、翌年2月のトリノ五輪には出場できなかった〉

 真央の五輪は実質的にはソチで3度目になる。トリノのときは数カ月、出場資格年齢に達していなかっただけ。あのとき、私は関係者に「五輪に出場させるべきだ」と提案したの。私は自分の意見をはっきりと述べるから、年齢は関係ないと言ったのね。でも認められなかった。

 〈トリノ五輪でスルツカヤは3位に。金メダルは完璧な演技で荒川静香選手が獲得した〉

 GPファイナルで負けたけど、スルツカヤはトリノでは意気消沈した様子を見せなかった。でも、スルツカヤを指導した経験者として思うのだけれど、心理的な影響はあった。彼女はそれを払拭することができなかった。真央は、スルツカヤを打ち負かしたのよ。

 〈07~08年のシーズンから、浅田選手はタラソワさんの本格的な指導を受け始める。表現力や芸術性にさらに磨きがかかった〉

 真央がまだ別のコーチに師事していたとき、私がショートプログラムの曲の振り付けをしたのね。数週間、真央を預かったあと、そのコーチから「真央が別人になった」と電話があったわ。真央は練習の虫ね。とにかく真面目に取り組む人。私は真央が自分に打ち勝って、実力以上の演技をしたときが大好き。真央は男子がするような演技をして、私のコーチとしてのイメージを広げてくれた。

 〈タラソワさんの父親は、アイスホッケーのソ連代表チームを9度の世界王者に導いた故アナトリー・タラソフ氏。「ロシア・アイスホッケー界の父」とも言われた〉

 父は天才だった。いつでも勝っていた。父からは、何よりも規律が大事ということを教わった。私は4歳のときに滑り始め、10代でフィギュアスケートのペア競技で欧州チャンピオンになった。19歳のときにけがをして、コーチに転身してから、いつも才能豊かな選手と関わってきたけれど、彼らは全てを私に託していた。1つの過ちが負けにつながれば、それはコーチの責任になる。これまで、私の指導した選手が3位以下に甘んじることはなかった。それは恥ずかしいことなのよ。(聞き手 佐々木正明)

産経新聞 11月13日(水)12時15分配信
【「真央は特別」「記憶に残る演技になる」タラソワコーチに聞く】



 〈来年2月7日に開幕するソチ五輪まで残り3カ月を切った。今季限りの引退を表明したフィギュアスケート女子の浅田真央選手は金メダルを目指し、ソチに臨む。2007年から見守ってきたタラソワさんは、親しみを込めて彼女のことを「真央」と呼ぶ〉

 小さい時から真央は天才児だったわ。氷上での動きは素晴らしく、スケーティングは非の打ち所がない。全てのステップを高い難度で刻み、ジャンプの精度も高い。そして、何よりも「音楽的な」スケーターだった。あらゆる曲目に合わせて自分を表現することができたのよ。

 〈ソチ五輪のフリーで浅田選手が披露するのは、タラソワさんが振り付けをしたラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』〉

 私は、自分が教えることを演じきれない選手は受け入れないことにしているの。小さい頃の真央が将来、素晴らしいスケーターになるということに気づいていなかったら、パートナーを組むことはなかったでしょう。私が音楽を聴くときは、いつも真央をその旋律の向こう側に見ていた。長年組んできたから、私の振り付けでどんなふうに演じさせようとしているかも、真央は理解している。私はいつも彼女から大きな満足を得られるのよ。

 〈浅田選手は9日にフリーが行われたグランプリ(GP)シリーズ第4戦のNHK杯で優勝。今季世界最高で自己ベストの合計207・59点をマークした〉

 振り付けを行うことは、彼女に音楽という名の衣装を仕立てるようなもの。今回は彼女に合うラフマニノフの曲目を選んだ。記憶に残る演技となるでしょう。この曲目を通じて、彼女はこれまでのフィギュアスケート人生の全てを表現するのよ。困難を克服すること、それがこの演目のテーマ。もし、真央がラフマニノフの調べにのって全ての演技を終えることができたら、それこそが困難を克服したということ。一人の人間の人生、一流のスケート選手の人生を表現したことになる。

 真央は、かけがえのない、とても特別な人。五輪で、彼女がとびきりの笑顔を浮かべることを心から祈っている。いつものように調子がよくて、ちゃんと準備をしたなら、きっと良い結果を残すわ。あとは神のみぞ知るというところね。(聞き手 佐々木正明)

 【プロフィル】タチアナ・タラソワ

 1947年、モスクワ生まれ。4歳からフィギュアスケートを始め、10代でペア競技の欧州王者に。負傷のため19歳で現役を引退、コーチに転じた。トリノ五輪金メダルの荒川静香選手らを指導。浅田真央選手とは2007年から、かつては専属コーチとして、現在は演目の振付師として師弟関係が続いている。

産経新聞 11月12日(火)12時15分配信
【GPファイナルの出場権を早々に獲得】



 フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第4戦・NHK杯で自己ベストを更新し、優勝を飾った浅田真央(中京大)の表情は、一夜がたった11月10日の午前中も明るかった。前日(9日)のフリースケーティング(FS)では、代名詞のトリプルアクセルこそ両足着氷になったものの、それ以外はしっかりとまとめ136.33点をマーク。合計スコア(207.59点)で2位のエレーナ・ラジオノワ(ロシア)に16点近い差をつけて、文字通りの圧勝を収めた。

「バンクーバー五輪(2010年)のシーズンは、ジャンプのことも悩んでいましたし、自分の思うような演技ができませんでした。それに比べて今シーズンはとても良い状態です。今後も階段を1段、2段と上がっていくようにレベルアップしていきたいです」

 今季初戦となった10月のジャパンオープンでは、FSで非公認ながらパーソナルベストを更新(135.16点、NHK杯でさらに更新)。同月のスケートアメリカでも2位に10点以上の差をつけて優勝しており、向かうところ敵なしの状態が続いている。GPファイナルの出場権も早々に獲得した。

 完璧な演技をしているわけではない。トリプルアクセルは両足着氷や回転不足をとられ、今季は1度も完全には成功していないし、そのほかのジャンプでも時折ミスが散見される。それでもジャンプ以外のスピンやステップではレベル4をほぼ常に獲得しており、スケーティングの技術が安定していることが今季の高得点につながっている。浅田も「今季はスピンやステップですべてレベル4を取っているのでそれはうれしいです。ジャンプのプラスにもなっています。プログラムのなかで『これをやらないといけない』という焦りがないので、いまはただ練習通りに滑っています」と、演技全体に良い影響を及ぼしていることを喜んでいた。

【基礎を一から見直す】



 こうした浅田の好調の裏には、佐藤信夫コーチの存在がある。バンクーバー五輪後の2010年9月から師事するこの名伯楽のもとで、浅田はジャンプやスケーティングを基礎から見直してきた。癖のついたジャンプを矯正するのは大変だったようで、一時期は簡単なジャンプすら跳べなくなるなど不振に陥った時期もあった。浅田は当時を振り返ってこう語る。

「最初は何もかもが新しくて、自分がやろうとしてもできなかったりだとか、これで合っているかなと思っても違っていたりだとかがあったんです。基礎から見直して1からやるというのは本当に大変なことで、やっている最中にこれで大丈夫かと悩むこともたくさんありました」

 しかし、辛抱強く基礎を繰り返していると、佐藤コーチの意図していることが自身の中で腹落ちしてくる瞬間が出てきた。 「1、2年たつうちに先生の言っていることが分かってきて、自分もできるようになったんです。いまでは失敗したら先生の言っていることがよく分かるし、それがすごく明確になっています」

 佐藤コーチに指導を仰ぐことによって、浅田自身の意識にも変化が出てきた。読書家の佐藤コーチに倣い、遠征先や飛行機のなかで本を読むようになった。さまざまな考え方に触れることで視野が広がり、新たに開ける道があることに気づいたという。「以前までは自分がやってきたことを変える勇気がなかったんですけど、それだけではないなと思ってきました。練習方法なんかもそうなんですけど、いろいろ変えたことがすべてうまくいっているんです」。年齢を重ね、多くの経験を積んできた浅田の成長もあるのだろうが、師から受けた影響も、現在の好調につながっていると言っても決して過言ではないだろう。

【佐藤コーチが求めているもの】



 浅田を見守る佐藤コーチの目も温かい。しかし、より高みを目指しているだけに指摘は厳しい。自己ベストをマークしたFSの演技については、「ポロポロとミスがあるので、決して満足できる状態ではないんですけど、いままでと比べれば滑れているかなと思うので、それは良かったです。あと少し正確にやれればいいなと思っています」と、注文をつけた。

 佐藤コーチが求めているのはスピードのある質の高いジャンプ。だが、速すぎてもいけない。トリプルアクセルの精度を上げるためには「彼女の体力に一番合ったスピード」で跳ぶ必要があるのだという。
「練習でも確率が高まってきていますし、あとちょっとできればいいなと思うんですけど、力が入ってしまうんですね。本番になると興奮状態になって、練習の時より速いスピードで入っているから、やっぱり振られてしまう。原因としてはそこが一番大きいと思います」

 こうした課題を解決するために、佐藤コーチは練習方法を変えることを検討している。試合を想定し、1回の演技に懸けるやり方だ。練習時から本番を意識した構成にすることで、練習と試合の差を埋めようとしているのである。

 浅田も佐藤コーチの練習方法には全幅の信頼を寄せている。
「試合では何が起こるか分からないし、そういうことを想定した練習をしていこうと思っています。不安をなくすために練習をしているので、練習をしていけば大丈夫という信頼はあります」

【トリプルアクセルを2回入れる可能性】



 NHK杯のFS後、浅田は12月のGPファイナルか全日本選手権でトリプルアクセルを演技中に2回入れる可能性を示唆した。佐藤コーチには相談済みで、「スケートアメリカのとき、信夫先生と一緒に練習しているうちにアクセルの調子が良くなっていき、すごく簡単に跳べるようになっているので、これなら入れてもいいんじゃないかと話をしました」と、笑顔を見せた。まだ1度も練習はしていないそうだが、「80パーセントぐらいはできると思っています。自分としてはバンクーバー五輪のときよりも調子が良いですし、できるという自信があります」と力強く語っている。

 バンクーバー五輪では、SPとFSで計3回のトリプルアクセルを成功させた。あれから間もなく4年が経過しようとしているが、進化した姿を見せるには当時を超える演技を披露するしかない。「FSはこれからブラッシュアップをするので、さらにレベルアップした『ラフマニノフ』を滑ることができると思います」と、浅田も手応えを感じている。

 この3年間は徹底的に基礎を見直してきた。そのなかで苦しんだこともあったが、いまようやくその基礎が身についてきて、大輪の花が咲こうとしている。
「ジャンプや技術の面で自分はもっと上を目指せるんじゃないかなと思っています。上のレベルで練習していくのが楽しいですし、それを試合で出せたらもっと最高です」

 12月にはGPファイナルと全日本選手権が控えている。今季限りでの現役引退を表明している浅田にとっては、両大会への出場も最後となる。ソチ五輪の出場権も懸かってくるが、それ以上に飽くなき向上心を持った浅田がどこまでレベルアップを遂げるのかが楽しみでならない。

<了>

文・大橋護良/スポーツナビ 2013年11月11日 11:42
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