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フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【浅田真央さんら出席 両陛下主催の「宮中茶会」】



天皇陛下の在位30年を記念する天皇、皇后両陛下主催の茶会が26日午前、皇居・宮殿で開かれ、元フィギュアスケート選手の浅田真央さんら著名人が出席した。こうした「宮中茶会」は年に何度も行われており、両陛下は各界の尽力者や功績のあった人などを招き、労をねぎらわれている。

今回の茶会は、陛下の在位30年を記念する政府主催式典へのお礼として、25、26日に計3回開かれる。安倍晋三首相ら三権の長や閣僚、駐日外国大使らのほか、文化や学問、スポーツなど各分野で尽力した人も招待されている。26日午前の茶会には、浅田さんのほか、元競泳選手の北島康介さん、2015年にノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章さんなど、平成の30年間を彩った各界の功績者が顔をそろえた。

宮内庁によると、両陛下が18年に国内の関係者を招待した「茶会」や「お茶」と呼ばれる行事は30件超あった。日本芸術院賞や日本学士院賞の受賞者、文化勲章受章者や文化功労者らを招いた茶会は毎年恒例で、五輪やパラリンピックの後には活躍した選手にも招待状が届く。外国赴任前や帰国後の大使も御所に招かれる。

茶会の形式は様々だ。今回のように数百人規模の茶会では宮殿で最も広い「豊明殿」が使われる。シャンパンやウイスキー、ビール、日本酒といった酒類やソフトドリンクのほか、サンドイッチやクッキー、カナッペ、細巻きなどの軽食が用意され、出席者はグラスを手に歓談する。

両陛下や皇族方が会場に到着すると、初めに出席者代表があいさつし、天皇陛下がお言葉を述べられる。その後、両陛下や皇族方の周りにそれぞれ出席者が集まり、懇談が始まる。時間は数十分程度で、宮内庁職員が鳴らすトライアングルの音を合図に終了となる。

少人数の茶会では、いくつかのテーブルに出席者が分かれて座り、料理が出されることもある。両陛下や皇族方は時間を区切って各テーブルを移動し、全員と懇談される。


日本経済新聞 2019/2/26 10:51
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【浅田真央さんビックリ発言「アイスホッケーの大会に参加したい」】



 フィギュアスケート元世界女王で、昨年4月に現役引退した浅田真央さん(28)が18日、2006年からCMキャラクターを務める保湿ティッシュの高級ブランド「ネピア鼻セレブティッシュ」の都内イベントに出席。イベント内のトークで、真央さんの今後のチャレンジが話題になると「いまアイスホッケーをしています。アイスホッケーの大会に出たいですね。趣味程度ですけど」と明かし、報道陣を驚かせた。

 フィギュアスケートのシーズンが深まる冬に向けては、競技者の間で需要が高まるティッシュ。真央さんも現役時代から愛用する「鼻セレブ」を「選手のみなさんに使ってもらえるように伝えます」とPRし、「これからどんどん大きな試合がありますので、選手の皆さんはけがのないように頑張って下さい」とエールを送った。自身の今後の目標については公演中のアイスショー「浅田真央サンクスツアー」で「最後の最後まで滑りきりたいです!」と元気良く抱負を述べた。

 同社製品は来年で発売15周年。リニューアルを記念し、19日からは東京・表参道に「鼻セレブcafe 鼻屋敷」(19日~31日)が期間限定でオープンする。この日のイベント会場では真央さんは、両肩を大胆にのぞかせたセレブなドレス姿で登場し、笑顔を輝かせていた。

10/18(木) 12:42配信 スポーツ報知


【浅田真央さん 今後はアイスホッケー選手に転身?「大会に参加できたらいいな」】



 フィギュアスケートの10年バンクーバー五輪女子銀メダリストで昨春に引退した浅田真央さん(28)が18日、都内で行われた「鼻セレブCafe 鼻屋敷」オープニングイベントのゲストとして出席した。

 フィギュアスケートは19日に開幕するグランプリシリーズ第1戦のスケートアメリカを皮切りにシーズンが本格化する。浅田さんは「これからどんどん大きな試合が待っていると思います。選手の皆さん、ケガなく無事にシーズンを終えてほしいと思います」とエールを送った。

 浅田さんは現在、自身で演出を手掛けるアイスショー「浅田真央サンクスツアー」を全国各地で開催中。「1つの目標はサンクスツアーを滑り切ること」と語り、今後のチャレンジについては「私、今アイスホッケーをやっていまして、今後アイスホッケーの大会に参加できたらいいなと思っています。趣味程度でやってるんですけど」と明かした。

 浅田さんが06年から広告キャラクターを務める保温ティッシュ「鼻セレブ」は今月1日より全面リニューアルして発売を開始。「リンクの中は寒くて鼻水が出てしまうので選手にティッシュは欠かせないもの。私も選手のみんなに“新しくなったから使ってみて”と伝えたいと思います」と笑顔でPRした。

10/18(木) 15:09配信 スポニチアネックス
【真央さん、サプライズで登場にファン感激…大丸札幌で「浅田真央展」】



 フィギュアスケート元世界女王で、昨年4月に現役を引退した浅田真央さん(28)の競技生活を振り返る「美しき氷上の妖精 浅田真央展」が17日、大丸札幌店で開幕。初日には浅田さんがサプライズで登場し、ポストカードを手渡すなど笑顔で出迎え。駆けつけた約200人の中には感激の涙を流すファンの姿もあった。

 展覧会では浅田さんの幼少期から引退までの歩みを振り返る映像のほか、衣装や靴、写真パネルなど約100点を展示。2010年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した際の衣装を前に「目の前にすると、当時を思い出します。細かい所まで見てもらえれば」と懐かしそうに振り返ると、「今まで応援して下さった方々に衣装やメダルを間近で見て頂ければうれしい」と話した。今月29日まで開催。入場無料。(清藤 駿太)

10/18(木) 6:13配信 スポーツ報知
【家族との思い出の地ハワイで「完走できて良かった」】



 フィギュアスケート女子で世界選手権3度優勝、10年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央さん(27)が、42・195キロを駆け抜けた。10日(日本時間11日)に米ハワイ州でJALホノルルマラソンに出場し、目標だった4時間30分切りには及ばない4時間34分13秒でフィニッシュ。「タイムの目標を達成できなかったので80点」と振り返ったが、金色に輝く完走メダルをかけられ「久しぶりの金メダルで嬉しい!」と笑みを浮かべた。

 山あり谷ありの初マラソンだった。「最初すごい軽快に走っていて、10~15キロくらいから体に痛みが出てきて、そこからまた持ち直して、20キロを越えたあたりからまたちょっと体が重くなって。その繰り返しでした」。現役時代の終盤に痛めた左膝は9月のマラソン練習開始時には問題がなかったものの、11月に再び痛みが出た。この日のゴール後は患部をアイシングするなど状態は万全ではなかったが、現役時代と同様の諦めない姿勢が完走を呼んだ。

 今大会の舞台となったハワイは、真央さんにとって思い出の地だ。10年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した後、今は亡き最愛の母・匡子さんと姉・舞さんと家族旅行で訪れた。レース前日の9日は、匡子さんの命日でもあった。「7年ぶり、母と舞と3人で旅行に来て以来のハワイで、すごく不思議な思い。きょう舞も来てくれて、きっと母も一緒に見ていたと思うので、そう思うと完走できて良かった」。応援に駆けつけた舞さんと抱き合うと、涙が浮かんだ。

 現役時代のこの時期はグランプリファイナルに出場、全日本選手権を見据えてのトレーニング、五輪に向けての思いを高めていた頃だ。4月に引退会見を行ってから約8カ月。現役を離れ、平昌五輪を目指していないが、「自分が挑戦して、自分の限界を知って、自分が長く悩んで考えて決断したこと。全然、未練はない」ときっぱりと言った。

 42・195キロという1つの大きな挑戦を終え、早くも次の“号砲”を待っている。「このままストップしないで、次のやるべきことに向かっていきたい。スケートだけではなく、自分がやりたいと思うものがあれば挑戦していきたい」。真央さんは立ち止まらない。これからも全力で走り続ける。

12/11(月) スポニチアネックス


 現役引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央(中京大)が12日、都内で会見を行い、決断に至った経緯やこれまでの競技生活について語った。

 報道陣430名が詰め掛ける中、登壇した浅田は「決断をするにあたって悩みました。やり残したことは何だろうと考えたときに、ないと思ったので、すべてやり尽くした」と晴れやかな表情を見せた。引退を決めるきっかけとなったのは、昨年末の全日本選手権。12位に終わり「もういいんじゃないかなと思った」という。

 会見では終始笑顔だった浅田だが、最後のあいさつでは声に詰まる場面もあった。それでも「スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で前に進んでいきたいと思っています」と力強く宣言した。

 以下は、浅田のあいさつと質疑応答。


【全日本で12位「もういいかなと」】

 本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。私、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました。長い選手生活でしたが、たくさんの山がありました。でも、その山を乗り越えてこられたのも、たくさんのファンの方の応援があったからだと思います。今日は感謝の気持ちをお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。

―まずはお疲れさまでした。2日前、ブログで引退を表明されて今、あらためてどんな心境?

 まずこの場に入ってきたときに、これだけのたくさんの方が集まってくださって、本当にびっくりしましたが、少し落ち着いてきました。

―いろんな人から引退についてのコメントをもらったかと思うのですが、印象に残ったコメントは?

 たくさんの方が連絡をくれました。皆さんが「お疲れさま」という声を掛けてくれて、私自身も「選手生活を終えるんだな」という気持ちになりました。

―親しい人への報告はどのような感じで?

 少し前に家族や友達に報告しました。みんな「お疲れさま、よく頑張ったね」と言ってくれました。

―引退を決めたきっかけ、その時期は?

(2014年春から1年間の休養。翌年復帰して)復帰してから、いい形でスタートできました。でも、そこから試合に出るにつれて「今のスケート界についていけるのかな」という思いが強くなったり、体の部分で復帰前よりも少し辛い部分が多くなりました。なんとか1シーズンは乗り切れたんですが、2シーズン目からは「なんとか、なんとか頑張ろう」という気持ちでやってきました。でも最後の全日本選手権を終えて(16年12月の大会で12位)、もういいんじゃないかなと思いました。

―その全日本選手権からこれまでの3カ月、どんな思いだった?

 復帰してからずっと「平昌五輪に出る」という目標を掲げてきました。目標をやり遂げないといけない、(自分の気持ちと)自分が言ってしまったこととの葛藤がずっとありました。

―全日本選手権がきっかけとなり、引退を決めたのは具体的にはいつごろ?

 全日本選手権が終わって結果が出たときに「ああ、終わったんだな」と思いました。でも、日がたつにつれて、自分が言ってしまったことは今まで最後までやり通してきたので、「やらなきゃいけないんじゃないか」という思いの方が強くて、ここまで(引退発表が)延びてしまいました。

―平昌五輪への思いもあった。それを上回るくらいの達成感だった?

 そうですね。ソチ五輪が終わってから最高の形で終えることができたのですが、自分の体もまだまだできましたし、気持ちとしてもまだまだやれるという思いがあったので、復帰しました。体も気力も全部出し切ったので、今は(復帰して競技に)挑戦して、何も悔いはないです。

―最後の大会となった全日本選手権でトリプルアクセルに挑戦。全日本選手権で挑んだ気持ちは?

 最後になるのかなという気持ちは、ソチ五輪後の世界選手権ほどではなかったです。でもトリプルアクセルを挑戦して終えられたことは、自分らしかったかなと思います。


【一番印象に残っている演技は「ソチのフリー」】



―現役生活を振り返って。初めてスケート靴を履いたときのことを覚えている?

 5歳だったので、覚えてはいないんです。でもヘルメットをかぶって、スキーウエアを着て、肘あて、膝あてをしていたのは、写真に残っています。

―スケートをやってきて一番楽しかったのは?

 フィギュアスケートにはいくつも技がありますが、小さいころにその技をいくつもできるようになったときは、本当に楽しい気持ちになりました。「次は2回転を跳びたい、3回転を跳びたい」と思って。そういう思いがすごく楽しかったです。

―プレッシャーや辛かったことは?

 辛かったことはそんなにありません。この道を選んできたのは自分ですし、自分がやりたいと思って、望んでやってきた道なので、辛いと思ったことはありません。

―2回の五輪を振り返って。銀メダルを獲得したバンクーバー五輪の思い出は?

 バンクーバーは19歳だったのですが、すごく10代で若くて、気が強くて、その気持ちだけで乗り越えてきたという感じがします。

―そして4年後のソチ五輪では、素晴らしいフリーで国民に感動を与えた。ソチ五輪については、どんな思いがある?

 ソチ五輪はショートが残念な結果(16位)だったので、すごく辛い試合ではありました。でもフリーを最高の演技で終えることができた。ああいう気持ちの状態でしたが、バンクーバーからソチまで4年間の思いを、すべて(フリーの)4分間に注ぎ込めたと思っています。

―2度の五輪の経験はどんな経験だった?

 私の今後の人生においても、すごくいい経験、いい思い出だったのかなと思います。

―3回の世界選手権優勝は日本人最多。印象に残っていることは?

(金メダルのうち)2回の優勝は五輪後の世界選手権だったので、五輪の悔しさを晴らせた大会だったのかなとは思います。ソチ五輪後の世界選手権は、これで最後と思って臨んだ試合でした。今までのスケート人生のすべてをプログラムにぶつけた試合だったので、思い入れは一番強い試合でした。

―現役生活を振り返って、最も印象に残っている演技は?

 難しいですね。1つというのは難しくて、でもやっぱりソチのフリーかなと思います。

―あの時間に込めた思いは強かった?

 今までの試合以上に、落ち込んでいたり辛かったところもありました。それでもあれだけの挽回の演技ができたことに関して、そしてそれが五輪だったというのが一番良かったのかなと思います。
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