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フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【高橋大輔、真央“お姫さまだっこ”に「緊張した」】



 今季休養しているフィギュアスケート女子の浅田真央(24)=中京大=が21日、新横浜スケートセンターで行われた『クリスマス・オン・アイス』に出演した。

 エキシビションナンバー『The little light of mine』に加え、10月に現役引退を表明した男子の高橋大輔さん(28)、歌手クリス・ハート(30)とのコラボレーション、『クリスマス・イブ』を演じた。
 約4カ月ぶりに氷上で舞いを披露した真央は、「クリスさんが生で歌ってくれて、夢のようだった。たくさんのお客さんの中で滑りたかった。心が優しくなった」と充実の表情。真央を“お姫さまだっこ”する場面もあった高橋さんは、「緊張したけど、楽しくできた。リフトはこわごわしていた」と苦笑いを浮かべた。美声を届けたクリス・ハートは、「音楽とのコラボレーションはいろいろなストーリーがある。歌を忘れるぐらい素晴らしかった」と感激していた。

サンケイスポーツ 12月21日(日)15時50分配信


【「まだ迷い」浅田真央&高橋大輔が共演】

 今季休養中のフィギュアスケート女子の浅田真央(中京大)が21日、横浜市で行われたアイスショー「クリスマス・オン・アイス」に出演した。

 公演の後半では、歌手のクリス・ハートさんが歌う「クリスマス・イブ」に合わせて高橋大輔さんと共演。高橋さんに「お姫様抱っこ」のように持ち上げられてリフトを披露すると、観客から歓声と悲鳴が上がる場面もあった。

 6位入賞のソチ五輪後に去就を「ハーフハーフ」とし、その後休養に入った。「考える暇もなく一日一日をスケートにささげたのが前半。(五輪が)終わってからは考える時間があった」という今年1年。人生の分かれ道は近づいているようで「2015年は私にとって決断しなくてはいけない時が来る。その時の流れに任せていきたいと思う」。【福田智沙】

毎日新聞 12月21日(日)19時6分配信
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【真央 ソチ五輪涙の理由初告白「悔しかった」】

 フィギュアスケートの浅田真央(24)=中京大=が20日、NHKの「サタデースポーツ」に出演し、ソチ五輪のフリー直後に流した涙の理由を初めて明かした。

 日本中がもらい泣きした、2月のソチ五輪フリー直後の浅田の万感の涙。ショートプログラム(SP)はミスが続き、まさかの16位に沈んだが、翌日のフリーではほぼ完ぺきな演技で自己ベストをマークして6位に順位を上げた。それだけに満足、充実の涙かと思われていたが…。

 「終わったときは、今思うと悔しい気持ちの方が強かった。何であのショート(SP)ができなかったんだろう、できてたら変わったんだろうなあという思いがこみ上げ、悔しかった。でも、ここで最高の演技ができたから、最後、笑顔で終わりたいと思って笑顔になりました」

 滑り終えた直後、天を仰いで涙を流し、その後は笑顔になった。その間には、そんな心の動きがあった。

 浅田は5月19日に「今は自分の体も心も少しお休みさせたい」と1年間の休養を表明。現在は旅行や食べ歩きを楽しんでいるが、新たにジャズダンスを始めたという。「3歳から始めたんですけど、スケートが忙しくなって行けなくなったので、また…」と、楽しそうに説明した。

 浅田は21日に新横浜スケートセンターで行われるアイスショー「クリスマス・オン・アイス」に出場し、4カ月ぶりにリンクに立つ。

デイリースポーツ 12月20日(土)23時30分配信
【「ハーフハーフの思いが強くなった」 現在の心境明かす】



 今季の休養を表明しているフィギュアスケートの浅田真央選手が18日、東京都内で開催された「ロッテ クリスマス・チョコツリー」イベントに、「チョコサンタをイメージした」というキュートな衣装で登場。現役続行の可能性について「ハーフハーフ」と答えていた浅田選手は、現在の心境を聞かれると「よりいっそうハーフハーフの思いが強くなりました」と明かした。

 浅田選手は、以前、「ハーフハーフ」と答えた際のことを「とっさのことだったので、とりあえず言っておこうと思った」と説明。現在はアイスショーのために練習を再開しているといい、「ジャンプの調子が上がってきた」というが、「(前回は)分からないという意味を込めての『ハーフハーフ』。今回は、本当の意味でハーフハーフになってきた」と語った。来季については「まずはアイスショーもありますし、たくさんの方に私のスケートを見ていただけたら」と笑顔で、「オリンピックが終わったとき、私はスケートを続けたいという気持ちがなかった。でも、やっぱりスケートが好きなんだな、と。スケートとともに成長してきた私なので、これからはスケートとともにまだまだ歩んでいこうと思います」と語った。

 この日のイベントは、同社が2013年からクリスマスツリーにチョコレートを飾る新習慣を提案している「チョコツリープロジェクト」の一環。今年はクリスマスを前に昨年の倍となる全国100カ所の幼稚園にチョコツリーキットを届ける予定で、浅田選手は同プロジェクトのスペシャルPRキャラクターとして、自身がプロデュースした「ロッテ クリスマス・チョコツリー」の点灯式を行った。ツリーは品川プリンスホテル(東京都品川区)で25日まで展示される。

 浅田選手は「私がプロデュースしたツリーを皆さんに見ていただきたい」といい、試合のないクリスマスは「小学校6年から全日本選手権に出てるので、それ以来。12年ぶりですね」といい、「すごく楽なリラックスした気持ちなんですが、ショーに出るので今年も滑るんだよって気持ち。あんまり変わらない。スケートとクリスマスは一緒」と語った。プライベートについては「今年は、特に決まってないです。なにもないですね。(理想は)クリスマスパーティー。友達とプレゼント交換したい」と笑顔を見せた。

まんたんウェブ 12月18日(木)18時35分配信


【真央、復帰は「よりハーフ、ハーフ」】



 今季休養しているフィギュアスケートの浅田真央(24)=中京大=が18日、都内で自らプロデュースした「ロッテ クリスマス・チョコツリー」のお披露目・点灯式に参加。真央はスカートのサンタ衣装で登場すると、お菓子やぬいぐるみなどがぶら下がったツリーに「かわいい」と満足げだった。

 21日からは横浜市内で行われるアイスショーに出演。当初の予定を早めて、10月中旬から練習を始めた。「五輪後の会見では『まだ分からない』という意味を込めて言ったんですが、練習を再開してジャンプの調子が上がり、より『ハーフ、ハーフ』の思いが強くなりました」とスケートへの熱意を明かした。

スポーツ報知 12月19日(金)7時8分配信


【現役続行前進?真央スケート断ちで“禁断症状”】



 今季休養中のフィギュアスケート・浅田真央(24=中京大)の“現役続行確率”が「ハーフ・ハーフ」から急上昇している。真央は8月以降スケートリンクから遠ざかっていたが、10月半ばに突如スケート欲が爆発。周囲の“制止”もなんのその、練習を開始した。やはり「スケート断ち」は耐えられなかったようだ。

 真央は18日、都内で「ロッテ クリスマス・チョコツリー」お披露目・点灯式にキュートなミニスカートのサンタクロース姿で出席。自らがプロデュースしたツリーを「テーマは『ハッピースイーツクリスマス』です。とてもかわいいな」とニッコリ紹介した。

 2月のソチ五輪後、現役続行か引退かを問われ「ハーフ・ハーフ」と答えてから約10か月。現在の心境について聞かれると「練習を再開したらジャンプの調子も上がってきて、より一層ハーフ・ハーフの気持ちが強くなってしまいました」と悩ましげに明かした。

 真央によれば、あの時の「ハーフ・ハーフ」は「分からないも含めて。『とりあえず言っとけ!』でした。これからもスケートを続けていきたい気持ちはなかった」のだという。つまり、2月時点での現役続行の確率はゼロも同じ。しかし、それから休養した結果、50%に。明らかな上昇だ。

 これには、完全なる“スケート断ち”が影響している。8月から氷上練習を一切やめた。軽く体を動かすことも考えたが「中途半端な気持ちで滑ると、休養の意味がない。スケートをしたいのかしたくないのか、本当の気持ちが分からなくなる」と親しい関係者にアドバイスされた。これに納得した真央は、大学に行く際もあえてリンクを避けて通った。また私生活でもスケートのことはすべて忘れ、スキューバダイビングや旅行など別の活動を楽しむようにしていた。

 しかし、そうした毎日を「スケートの申し子」が耐えられるわけもなく“禁断症状”が現れた。10月半ば、突如「練習を始める!」と宣言。周囲に「あと2週間休んで11月からにすれば」と言われても「やる!」と押し切った。今では毎日が練習。ジャンプにもキレが戻っている。

 「休んでみて、スケートが好きだ、欠かせないと思った。まだまだスケートとともに歩んでいこうと思っている」と真央は意味深に話した。21日にはアイスショーに出演。観客の前で滑ることで、さらにどんな変化が起こるのか。答えは一つしかないようだ。

東スポWeb 12月19日(金)16時19分配信
【絶望を救った初めての「頑張れ」】



 日本中が泣いた。2月20日(日本時間同21日)、ソチ五輪フィギュアスケート女子フリーで浅田真央(24=中京大)が圧巻の演技を披露した。ショートプログラム(SP)で55・51点の16位という最悪スタートから一転、フリーで自己ベスト142・71点の逆襲劇。表彰台にも届かない6位だったが、集大成の五輪は見る者の心に深く刻み込まれた。あの“伝説の4分”に秘められた物語が今、明かされる。

 携帯電話が鳴った時、浅田は一人、選手村の食堂にいた。2月20日、ロシア・ソチの午前11時ごろだった。前日(19日)のSPの失意を引きずりながら、少し早めのランチタイム。電話に手を伸ばし、通話ボタンを押す。日本で見守っていた姉・舞さん(26)の声が、耳に届いた。

 「今まで頑張ってきたんだから、今の気持ちのまま臨むの、もったいないよ!絶対できるから、やらないと駄目!最後だから、頑張りなよ!」

 SPは冒頭のトリプルアクセルの転倒など、全てのジャンプを失敗。団体(8日)の64・07点を下回る55・51点は、11~12年シーズン以降のワーストだった。まさかの16位。「自分でも、終わってみて何も分からない…」。現実を受け入れることも、原因を分析することも容易ではなかった。

 フリーは翌20日。これまでSP上位6人が滑る最終組が定位置だった浅田だが、SP16位のため4組中2組目での滑走になった。SPを滑り終えた9時間後の午前8時35分に、20日の公式練習がスタート。前夜、なかなか寝付けず、浅田は予定の時間に起きられなかった。バスには間に合ったが、ウオーミングアップなど準備が遅れ、練習に少し遅刻した。

 公式練習の浅田は、ミスを連発した。覇気もなく、顔色も悪かった。日本にいた舞さんは、テレビで練習の様子を見た。いつもの妹でないことは明白だった。「これは、話をしないといけない」。SP後、舞さんは無料通信アプリ「LINE」でメッセージを送っている。「既読」にはなったが、返信はない。だから、電話をかけた。ソチとの時差は5時間。日本の午後4時ごろだった。

 10年バンクーバー五輪。舞さんは現地で浅田を応援した。だが、これ以降、会場で応援する回数は激減し、大会期間中も連絡を取らないように努めてきた。家族と触れることで、どこか甘えてしまう妹を知っていたから。だが、ソチでは自ら定めた“ルール”を破った。「何でですかね。今まで“頑張れ”なんて言ったことなかったのに、自然と出ちゃった」と舞さんは振り返った。

 姉との電話を終えた浅田は関係者に漏らした。「ホッとした」。厳しく、優しい舞さんの激励が、絶望から救ってくれた。ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」で臨んだフリー。浅田の心は、軽くなっていた。=続く=


【聞いてないようで“効いていた”言葉】



 2月20日(日本時間同21日)、ソチ五輪フィギュアスケート女子フリー。集大成のリンクに向かう浅田真央(24=中京大)に掛けた言葉は、いつもと同じだった。フリー演技直前、フェンスを挟み、佐藤信夫コーチ(72)は語り掛けた。「あなたは考えられるだけの練習をキチッと全部やってきた。できない理由はない。僕にはできない理由が見つからない。できて当たり前なんだよ」。浅田はしっかりとうなずき、スタートポジションへ滑走した。

 浅田が姉・舞さんから電話を受ける前、佐藤コーチもまた、浅田に魔法をかけていた。フリー当日、絶不調の公式練習を終え、2人は選手村へのバスを会場内のラウンジで待っていた。「何でそんな話をしようと思ったのか。不思議なもんですね。ふと、ですよ」。世界殿堂にも入っている佐藤コーチは、自身の教え子の話を聞かせた。

 80年レークプラシッド五輪。松村充はへんとうが腫れるなどの体調不良に陥りながら、8位に食い込んだ。当時、「ぶっ倒れたら助けてやる。ぶっ倒れるまでやれ!」と鼓舞した“鬼”は34年後、浅田に「何かあったら絶対に行ってあげるから、心配いらないよ」と声を掛けた。「何十億人がテレビで見ていて、土足でリンクに入ったら主催者は怒るでしょうけどね、私は行く。そういう気持ちで伝えた」と同コーチは明かした。

 この時、浅田は相づちを打つこともなく、ずっと黙り込んでいた。視線も合わなかった。佐藤コーチは思った。「知ら~ん顔してるし、絶対に何も聞いとらんわ…」。ソチは同コーチにとって、選手時代を含めて11度目の五輪だったが、実は他の選手の演技を見られる初めてのチャンスだった。SP16位のため、浅田が4組中2組目で滑走することになったから。同コーチは最終組の演技まで堪能し、報道陣に対応するため取材エリアへ。そこで初めて知った。フリーを終えた浅田が、自らこのエピソードを明かしていたことを。

 これまでも浅田は佐藤コーチの話を聞いていないようで、実は聞いていたということが何度もあった。「技術的な話をしても、知らん顔してる。でも、次の日にはちゃんと言った通りに滑っている」と同コーチは笑う。10~11年シーズンから師弟関係を結び、スケーティングの基礎から見直してきた。フリーで見せたノーミスの演技。引き揚げてきた愛弟子に、72歳は言った。「ほら、やっぱりできたじゃない」。浅田は泣きながら、ニッコリと笑った。=続く=


【「こういう子が活躍するのかな」】



 なぜ、そう思ったのか今でも分からない。佐藤信夫コーチ(72)は、浅田真央(24=中京大)と初めて会った時のことを鮮明に覚えている。浅田が小学生時代、小塚崇彦(25=トヨタ自動車)を指導していた同コーチは、クロアチア遠征を共にした。帰国時、乗り継ぎ便を待つ間、母・匡子(きょうこ)さんとじゃれ合う女の子を見て、ふと思った。

 「ああ、こういう子が世界で活躍するのかな」

 当時、佐藤コーチにとって浅田は「浅田舞の妹」という認識でしかなかった。演技を見たこともなかった。あふれる才能に気付いていたわけではないのに、なぜか将来の活躍が予見できたという。浅田が各年代で活躍するたびに思い出した。あの日、空港で見た仲の良い母娘の姿を。

 浅田と佐藤コーチがスケートの話を初めてしたのは、10年バンクーバー五輪の翌3月に行われたトリノ世界選手権。日本チームでの朝食中、同コーチは「僕の年齢になると、スピンしたら目の中に星が飛ぶ」などと話していた。浅田は「私も星が出たことある!」と雑談に参戦。「なんで星が出るんですかね?」と聞かれた同コーチは、「それは練習不足だからだよ」と教えた。

 10年夏、匡子さんから佐藤コーチの元に電話がかかってきた。コーチ就任の打診だった。浅田はバンクーバー五輪で銀メダルを獲得し、世界選手権も制覇。既に輝く実績を残している選手を指導することに、最初は難色を示していた。だが、病魔と闘いながら、何度も頭を下げる匡子さんの熱意に押されて受諾。秋から本格始動した。

 匡子さんは11年12月9日、肝硬変で48歳の若さで死去。匡子さんと家族は約束していた。「これからも自分の夢に向かって、やるべきことをやる」。ソチ五輪のフリー前、浅田は誓っていた。「支えてくれたたくさんの方に、今回はメダルという形で結果は残すことができないけど、残すのは自分の演技」。一番近くで支えてくれた母へ、みんなへ、伝えたいメッセージがあった。

 ラフマニノフの荘厳な調べが会場を包む。開いた両手を体の前でクロスさせ、浅田のフリーが始まった。冒頭に3回転半を完璧に決めると、全ジャンプを着氷する。スパイラルから、万感のフィニッシュへ。最愛の母がいる天を見上げた。“伝説の4分”が終わり、涙があふれ出た。「心配してくれた人もたくさんいる。自分の最高の演技で恩返しができた」――。=終わり=

アネックス 12月18日(木)10時29分配信
【鮮烈だった15歳浅田真央の「くるみ割り人形」 87日不足で五輪出られず…】



 2005年12月17日。15歳のあどけない少女が舞う「くるみ割り人形」に観客はくぎ付けになった。

 フィギュアスケートの浅田真央がグランプリ(GP)ファイナルに初出場した。ショートプログラム(SP)で首位の浅田はフリーでも高難度のトリプルアクセルを成功させ、合計189.62点で初優勝。会場には地鳴りのような大歓声が響いた。世界女王のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑えての快挙だった。

 シニア参戦初年度で、GPファイナルを制覇。しかし、直後の06年2月に行われたトリノ五輪には年齢制限のため出場できなかった。浅田は9月25日生まれ。当時、五輪への出場は、国際スケート連盟(ISU)が「開催前年の6月30日までに15歳に達していること」と定めており、わずか87日足りなかった。本人は「少しは出たいという気持ちもあるけど(2010年)バンクーバー(五輪)があるので、そこに気持ちを向けられればいい」と健気な“乙女心”をのぞかせたが、同情論が噴出した。

 フィギュアの年齢制限は、子供の成長を妨げる過度な練習や精神的重圧を避けるため、医学的見地から設けられた。若いスター選手のプロ転向に歯止めをかけたいという裏事情もあった。

 4年後のバンクーバー五輪。浅田は、ライバルのキム・ヨナ(韓国)に敗れ、銀メダルに終わった。次のソチ五輪ではメダルに届かなかった。それでも、フリーで最高の演技を披露し「4年間のすべてを出せた」と達成感をみなぎらせた。引退をちらつかせることもあったが、今季は休養宣言。来季以降については「ハーフハーフ(半々)」「時の流れに任せればいいのかな」と明言を避ける。

 8年前、トリノの銀盤に15歳の真央ちゃんが舞っていたら…。かなわぬことと分かっていても、多くの日本人がそんな夢想を繰り返してきた。=敬称略 (神)

産経新聞 12月6日(土)9時25分配信
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