フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
【MAO RINKオープニングセレモニーで見せた“晴れやかな表情”の意味「すごい楽しみな気持ちに…」】
東京・多摩地域を南北に結ぶ多摩モノレールの立飛駅を降りる。
数分も歩くと、黒色の外観の建物が見えてくる。そこに描かれた「MAO RINK」という大きな文字が目に入る。
11月8日。
冷えた空気に包まれ、それでもまぶしいほどの青空に恵まれたこの日、11月11日の開業を前に、東京都立川市のスケートリンク「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」のオープニングセレモニーが行われた。名前の通り、浅田真央がプロデュースしたリンクだ。30m×60mと国際規格のサイズのメインリンクには1000席の常設スタンドがあり、サブリンクやトレーニングジム、バレエなどができるスタジオなどを備え、レストランもオープンを予定している。
リンクとともに始まる“浅田真央の新章”
内覧会のあと、13時に場内が暗転。大きなビジョンに映像が流れる。
ナレーションとともに映し出されたのは浅田真央の足跡だった。
「1990年9月25日、愛知県名古屋市生まれ。34歳。5歳でスケートをはじめ12歳で初めて出場した全日本選手権で天才少女として大きな注目を浴びた。
ジュニア史上初めてトリプルアクセル成功、バンクーバーオリンピック銀メダル。世界選手権優勝3回」
競技生活時代を「スケート人生の第1章」と位置づけ、「2017年競技生活から引退し彼女の第2章が始まった」。3つのアイスショーを成功させたことが紹介されると、浅田本人が映像に登場する。
「第3章は、自分がコーチとして世界と戦えるスケーターを育てたい。立川市から世界一のスケーターを育てたい。自分がスケーターとしてこうだったらいいなという願いを全部つめこみました」
高らかに、新たな章のスタートがリンクとともに始まることを告げた。
浅田は「言い出したら聞かないから(苦笑)」
映像が終わると、白を基調としたリンクに進み出る人がいる。浅田真央だ。披露したのはこの日のためのプログラム「ブライトフューチャー」。ソロのパートに加え、キッズスケーターたちも交えて滑る。その後、浅田とともに協業でスケートリンクを建設する「MAO RINK PROJECT」を進めてきた株式会社立飛ホールディングスの村山正道社長、酒井大史立川市長が挨拶を行い、セレモニーは終了。その後は立川市内の幼稚園児20名が参加しスケート教室を開催。滑った経験のない子たちも少なくない中、優しく語りかけ、ときに手をとり教えた。
終始これ以上のない晴れやかな表情を見せていた浅田は言う。
「MAO RINKをつくるのが子どもの頃からの夢でした。スケーターの願いを全部つめこんだ世界一のリンクだと思っています」
国際規格で実現したメインリンクは集中しやすいようにと黒をベースにした壁になっている。一転、サブリンクは大きな窓で外の風景を取り込む。子どもの頃から室内リンクで練習し、外を見ることがなかった経験からだと言う。
「桜の木があるので、春は桜の花を見ながら楽しんでほしいと思っています」
外壁には金、銀、銅が配色されている。
「世界で金銀銅(メダル)を獲るスケーターが育ってほしいという思いをこめています」
またアイスショー開催時を想定して女性化粧室を増やしたり、さらには化粧室のピクトグラムにスケートをモチーフとしたイラストが描かれているのもこだわりの一環だ。
「担当者が苦労するくらい、(浅田に)こだわりがあって大変だったんですよ。言い出したら聞かないから」
と苦笑する村山社長は、笑顔で続ける。
「おかげでいいものができました」
手書きの資料を持参して…浅田の熱意が周囲を動かした
浅田と村山社長が会い、浅田がリンクの建設について要望したのは2021年3月のこと。
「仕事で出会った方にご紹介いただきました」(浅田)
ただ、村山社長は最初に話があったときをこう振り返る。
「『会わない』と返しました」
それでも、「何度か話があったので、『分かりました』と」。
実は村山社長のもとには以前、別のところからもリンク建設の話があり、「やんわりと」断っていたという。それもあったのだろう。「(浅田の打診が)なんの話かは分かっていたので」「会わない」という返事をした。
それでも面会にこぎつけた。かけがえのない時間に、浅田はA3の紙2枚に鉛筆書きでびっしり書き込んだ資料を持参し、懸命に思いを伝えた。
「立川にアイスリンクがあってもいいな、立川にとっていい話だと思いました」(村山社長)
長年にわたり抱いていた夢。浅田の熱が心を動かし、長年の夢だからこそのこだわりが形になったのであった。
浅田が語った“指導者としてのビジョン”
2021年、長年多くのスケーターらの練習場所となってきた高田馬場のスケートリンク「シチズンプラザ」が閉鎖されたとき、大学スケート部など多方面に打撃を与えた。現在、1年中スケートができる通年リンクはごくわずか。スケートのできる環境という点でも新たなリンクの誕生は大きな意義を持つ。
むろん、それだけにとどまらない。
「MAO RINKから自分のアイスショーをしたいなと思っています。ショースケーターを終えたとき、指導者として力を入れていきたいと思っています」
と浅田は語る。
リンクは浅田にとっての第3章のスタート地点でもある。新たなスタートを切る場所であり、未来のスケーターにとってのスタート地点ともなる。
名スケーター、他競技のアスリートからも祝福
「MAO RINK」の入り口をくぐると、多方面からの膨大な祝花が目に飛び込んできた。
数々のスケーターの名前が並ぶ。佐藤信夫・佐藤久美子、佐藤有香、小林れい子、荒川静香、高橋大輔、村元哉中、宮原知子、紀平梨花、坂本花織、宇野昌磨、本田真凜、島田高志郎、佐藤駿、三浦璃来・木原龍一、三原舞依、上薗恋奈、オレンジチアーズ(無良崇人、川原星、橋本誠也)……。さらには石川佳純、錦織圭といった他競技のアスリートの名前も見られた。
オープニングセレモニーに先立ち、メインリンクを初滑りしたあと、浅田はこう話している。
「今、すごいきれいな氷にスケートの軌跡が描かれていると思うんですけど、たぶんいろんな人が来て、いろんな思い出とかがここに刻まれるのかと思うとすごい楽しみな気持ちになりました」
多くの祝福は、その言葉に呼応しているかのようだった。
(撮影=松本輝一)
Number Web 11/11(月) 17:02配信
東京・多摩地域を南北に結ぶ多摩モノレールの立飛駅を降りる。
数分も歩くと、黒色の外観の建物が見えてくる。そこに描かれた「MAO RINK」という大きな文字が目に入る。
11月8日。
冷えた空気に包まれ、それでもまぶしいほどの青空に恵まれたこの日、11月11日の開業を前に、東京都立川市のスケートリンク「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」のオープニングセレモニーが行われた。名前の通り、浅田真央がプロデュースしたリンクだ。30m×60mと国際規格のサイズのメインリンクには1000席の常設スタンドがあり、サブリンクやトレーニングジム、バレエなどができるスタジオなどを備え、レストランもオープンを予定している。
リンクとともに始まる“浅田真央の新章”
内覧会のあと、13時に場内が暗転。大きなビジョンに映像が流れる。
ナレーションとともに映し出されたのは浅田真央の足跡だった。
「1990年9月25日、愛知県名古屋市生まれ。34歳。5歳でスケートをはじめ12歳で初めて出場した全日本選手権で天才少女として大きな注目を浴びた。
ジュニア史上初めてトリプルアクセル成功、バンクーバーオリンピック銀メダル。世界選手権優勝3回」
競技生活時代を「スケート人生の第1章」と位置づけ、「2017年競技生活から引退し彼女の第2章が始まった」。3つのアイスショーを成功させたことが紹介されると、浅田本人が映像に登場する。
「第3章は、自分がコーチとして世界と戦えるスケーターを育てたい。立川市から世界一のスケーターを育てたい。自分がスケーターとしてこうだったらいいなという願いを全部つめこみました」
高らかに、新たな章のスタートがリンクとともに始まることを告げた。
浅田は「言い出したら聞かないから(苦笑)」
映像が終わると、白を基調としたリンクに進み出る人がいる。浅田真央だ。披露したのはこの日のためのプログラム「ブライトフューチャー」。ソロのパートに加え、キッズスケーターたちも交えて滑る。その後、浅田とともに協業でスケートリンクを建設する「MAO RINK PROJECT」を進めてきた株式会社立飛ホールディングスの村山正道社長、酒井大史立川市長が挨拶を行い、セレモニーは終了。その後は立川市内の幼稚園児20名が参加しスケート教室を開催。滑った経験のない子たちも少なくない中、優しく語りかけ、ときに手をとり教えた。
終始これ以上のない晴れやかな表情を見せていた浅田は言う。
「MAO RINKをつくるのが子どもの頃からの夢でした。スケーターの願いを全部つめこんだ世界一のリンクだと思っています」
国際規格で実現したメインリンクは集中しやすいようにと黒をベースにした壁になっている。一転、サブリンクは大きな窓で外の風景を取り込む。子どもの頃から室内リンクで練習し、外を見ることがなかった経験からだと言う。
「桜の木があるので、春は桜の花を見ながら楽しんでほしいと思っています」
外壁には金、銀、銅が配色されている。
「世界で金銀銅(メダル)を獲るスケーターが育ってほしいという思いをこめています」
またアイスショー開催時を想定して女性化粧室を増やしたり、さらには化粧室のピクトグラムにスケートをモチーフとしたイラストが描かれているのもこだわりの一環だ。
「担当者が苦労するくらい、(浅田に)こだわりがあって大変だったんですよ。言い出したら聞かないから」
と苦笑する村山社長は、笑顔で続ける。
「おかげでいいものができました」
手書きの資料を持参して…浅田の熱意が周囲を動かした
浅田と村山社長が会い、浅田がリンクの建設について要望したのは2021年3月のこと。
「仕事で出会った方にご紹介いただきました」(浅田)
ただ、村山社長は最初に話があったときをこう振り返る。
「『会わない』と返しました」
それでも、「何度か話があったので、『分かりました』と」。
実は村山社長のもとには以前、別のところからもリンク建設の話があり、「やんわりと」断っていたという。それもあったのだろう。「(浅田の打診が)なんの話かは分かっていたので」「会わない」という返事をした。
それでも面会にこぎつけた。かけがえのない時間に、浅田はA3の紙2枚に鉛筆書きでびっしり書き込んだ資料を持参し、懸命に思いを伝えた。
「立川にアイスリンクがあってもいいな、立川にとっていい話だと思いました」(村山社長)
長年にわたり抱いていた夢。浅田の熱が心を動かし、長年の夢だからこそのこだわりが形になったのであった。
浅田が語った“指導者としてのビジョン”
2021年、長年多くのスケーターらの練習場所となってきた高田馬場のスケートリンク「シチズンプラザ」が閉鎖されたとき、大学スケート部など多方面に打撃を与えた。現在、1年中スケートができる通年リンクはごくわずか。スケートのできる環境という点でも新たなリンクの誕生は大きな意義を持つ。
むろん、それだけにとどまらない。
「MAO RINKから自分のアイスショーをしたいなと思っています。ショースケーターを終えたとき、指導者として力を入れていきたいと思っています」
と浅田は語る。
リンクは浅田にとっての第3章のスタート地点でもある。新たなスタートを切る場所であり、未来のスケーターにとってのスタート地点ともなる。
名スケーター、他競技のアスリートからも祝福
「MAO RINK」の入り口をくぐると、多方面からの膨大な祝花が目に飛び込んできた。
数々のスケーターの名前が並ぶ。佐藤信夫・佐藤久美子、佐藤有香、小林れい子、荒川静香、高橋大輔、村元哉中、宮原知子、紀平梨花、坂本花織、宇野昌磨、本田真凜、島田高志郎、佐藤駿、三浦璃来・木原龍一、三原舞依、上薗恋奈、オレンジチアーズ(無良崇人、川原星、橋本誠也)……。さらには石川佳純、錦織圭といった他競技のアスリートの名前も見られた。
オープニングセレモニーに先立ち、メインリンクを初滑りしたあと、浅田はこう話している。
「今、すごいきれいな氷にスケートの軌跡が描かれていると思うんですけど、たぶんいろんな人が来て、いろんな思い出とかがここに刻まれるのかと思うとすごい楽しみな気持ちになりました」
多くの祝福は、その言葉に呼応しているかのようだった。
(撮影=松本輝一)
Number Web 11/11(月) 17:02配信
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