フィギュアスケーターの浅田真央さんを応援するブログ
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【家族との思い出の地ハワイで「完走できて良かった」】
フィギュアスケート女子で世界選手権3度優勝、10年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央さん(27)が、42・195キロを駆け抜けた。10日(日本時間11日)に米ハワイ州でJALホノルルマラソンに出場し、目標だった4時間30分切りには及ばない4時間34分13秒でフィニッシュ。「タイムの目標を達成できなかったので80点」と振り返ったが、金色に輝く完走メダルをかけられ「久しぶりの金メダルで嬉しい!」と笑みを浮かべた。
山あり谷ありの初マラソンだった。「最初すごい軽快に走っていて、10~15キロくらいから体に痛みが出てきて、そこからまた持ち直して、20キロを越えたあたりからまたちょっと体が重くなって。その繰り返しでした」。現役時代の終盤に痛めた左膝は9月のマラソン練習開始時には問題がなかったものの、11月に再び痛みが出た。この日のゴール後は患部をアイシングするなど状態は万全ではなかったが、現役時代と同様の諦めない姿勢が完走を呼んだ。
今大会の舞台となったハワイは、真央さんにとって思い出の地だ。10年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した後、今は亡き最愛の母・匡子さんと姉・舞さんと家族旅行で訪れた。レース前日の9日は、匡子さんの命日でもあった。「7年ぶり、母と舞と3人で旅行に来て以来のハワイで、すごく不思議な思い。きょう舞も来てくれて、きっと母も一緒に見ていたと思うので、そう思うと完走できて良かった」。応援に駆けつけた舞さんと抱き合うと、涙が浮かんだ。
現役時代のこの時期はグランプリファイナルに出場、全日本選手権を見据えてのトレーニング、五輪に向けての思いを高めていた頃だ。4月に引退会見を行ってから約8カ月。現役を離れ、平昌五輪を目指していないが、「自分が挑戦して、自分の限界を知って、自分が長く悩んで考えて決断したこと。全然、未練はない」ときっぱりと言った。
42・195キロという1つの大きな挑戦を終え、早くも次の“号砲”を待っている。「このままストップしないで、次のやるべきことに向かっていきたい。スケートだけではなく、自分がやりたいと思うものがあれば挑戦していきたい」。真央さんは立ち止まらない。これからも全力で走り続ける。
12/11(月) スポニチアネックス
フィギュアスケート女子で世界選手権3度優勝、10年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央さん(27)が、42・195キロを駆け抜けた。10日(日本時間11日)に米ハワイ州でJALホノルルマラソンに出場し、目標だった4時間30分切りには及ばない4時間34分13秒でフィニッシュ。「タイムの目標を達成できなかったので80点」と振り返ったが、金色に輝く完走メダルをかけられ「久しぶりの金メダルで嬉しい!」と笑みを浮かべた。
山あり谷ありの初マラソンだった。「最初すごい軽快に走っていて、10~15キロくらいから体に痛みが出てきて、そこからまた持ち直して、20キロを越えたあたりからまたちょっと体が重くなって。その繰り返しでした」。現役時代の終盤に痛めた左膝は9月のマラソン練習開始時には問題がなかったものの、11月に再び痛みが出た。この日のゴール後は患部をアイシングするなど状態は万全ではなかったが、現役時代と同様の諦めない姿勢が完走を呼んだ。
今大会の舞台となったハワイは、真央さんにとって思い出の地だ。10年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した後、今は亡き最愛の母・匡子さんと姉・舞さんと家族旅行で訪れた。レース前日の9日は、匡子さんの命日でもあった。「7年ぶり、母と舞と3人で旅行に来て以来のハワイで、すごく不思議な思い。きょう舞も来てくれて、きっと母も一緒に見ていたと思うので、そう思うと完走できて良かった」。応援に駆けつけた舞さんと抱き合うと、涙が浮かんだ。
現役時代のこの時期はグランプリファイナルに出場、全日本選手権を見据えてのトレーニング、五輪に向けての思いを高めていた頃だ。4月に引退会見を行ってから約8カ月。現役を離れ、平昌五輪を目指していないが、「自分が挑戦して、自分の限界を知って、自分が長く悩んで考えて決断したこと。全然、未練はない」ときっぱりと言った。
42・195キロという1つの大きな挑戦を終え、早くも次の“号砲”を待っている。「このままストップしないで、次のやるべきことに向かっていきたい。スケートだけではなく、自分がやりたいと思うものがあれば挑戦していきたい」。真央さんは立ち止まらない。これからも全力で走り続ける。
12/11(月) スポニチアネックス
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